板橋区アーチェリーのあゆみ
| 二十年/三十年/四十年のあゆみより転載 |
| 板橋区アーチェリー協会の誕生まで |
| 1.アーチェリー協会創立以前の経緯 日本にアーチェリーが導入されたのは昭和14年に菅重義氏がアメリカから帰国し、 日本弓道会に紹介したのがその濫暢である。 昭和22年には、東京にできたクラプを統一して「日本洋弓会」が結成され、昭和31年に 「日本アーチェリー協会」と改称。昭和34年に、) 川上源氏が初代会長に就任し理事長には小沼英治氏が就任する。 板橋区にアーチェリーが導入されたのは、 昭和32年で小沼英治氏と菅谷武氏(アサヒ弓具kk)の両氏が新日鉄 (当時日本特珠鋼管)の生沢清次郎氏の招きで公聞試技を披露されたのか始まりで、 その年に新日鉄にクラブが誕生した。 この当時は日本にアーチェリーが一般に普及されつつある時期て 珍ちしいスポーツと言われた時代である。丁度このころ 板橋区弓道連盟が沢藤電機の弓道場で活動していた頃で、 生沢氏も弓道連盟の理事としてアーチェリーを弓道連盟の一部に入会促進を計り弓道連盟の 洋弓班として認めさせ区民大会等に5年問参加していたのである。 昭和34年に弓道連盟の洋弓班として承認された洋弓班は 新日鉄を中心とした約10名の会員で、昭和40年に板橋区体育協会加盟の準備として弓道 連盟よリ独立する。 昭和40年第18回都民体育大会第1回アーチェリー大会に参加し第3位に入賞する。 これを記念し板橋区アチェリ協会が発足、 初代会長に小川良純(区議)を迎えスタートする。 2.板橋区体育協会加盟 昭和41年10月1日、板橋区アーチェリー協会会員15名をもって板橋区体育協会から 正式加盟が承認された。当時は区立アーチェリー場がないためもっばら 新日鉄射場(昭和35年以降)て括動して対外試合に出場していたのである。 昭和41年12月、板橋区アーチェリー協会結成祝賀大会を 新日鉄グランドで区体育協会、教育委員会、各区アーチェリー協会を多数招待し (60名)盛大に実施する。 (高橋 剛) |
| ☆草分けの時代に大活躍☆ 昭和30年代──菅谷 武選手 アーチェリー競技会も草分けの時代で、全日本も、実業団も、第一回大会は、この年代 に開かれている。その主なる競技会にほとんど顔を出し、優勝、あるいは準優勝と、華々 しい活曜をしていたのが、後の板ア協創設の中心となる菅谷武選手である。 昭和35年 第一回全国実業団大会アサヒ弓具 優勝 昭和35年 第二回国際ルール大会オールラウンド50.30m 2位 昭和36年 東京都実業団選手権大会個人 優勝 昭和36年 全日本選手権大会(上井草)30M 優勝 昭和39年 第一回インドア大会社会人の部 優勝 (白金ボーリングセンター) ☆板ア協をより大きく☆ 昭和40年代 四十万 文男選手 田中 功選手多田 昭一選手 高橋 剛選手 昭和41年に板ア協が設立されて、2年後の昭和43年、我協会は都民大会において、最初 の優勝を成しとげる。この4入に菅谷 武選手を加えたメンバーである。そして昭和46年、 洋弓場が落成の年に成された第2回目の都民大会の優勝も、 石倉 孝祐選手を加えた、このメンバーであった。 生まれたばかりの板ア協をひっぱり、盛んにし、華をそえていった人達である。 また、昭和48年には高校として参加していた都立大山高校が都大会で優勝し、 協会の活動はますます層の厚い広いものとなってゆく。 |
| ☆協会を支えて来た女性達☆ 板橋区アーチェリー協会の発展の歴史をたどってゆく時、 どうしても挙げられる名前は男性がほとんどになってしまう。多分、 どこの協会でも女性理事長というのは耳にしたことは無いし、また、 都民大会などにおいても、他のバレーボールなどの様に、 女子の部門は無い。しかし、板橋区アーチェリー協会の中でも、 女性達は無くてはならない役割りをはたしてきている。ここに少し紹介してみたい。 板橋区アーチェリー協会が発足して4年目の昭和45年、理事の列に初めて、 西野 智恵、草深 裕子の二女性が加わった。 西野さんはそれ以来、協会の指導員としての役割りを続けられ、現在、 指導委員長として、女性ならではのキメの細かい活動で、 初心者指導、初心者教室の運営に当たられている。自ら、 足が御不自由な体なのにもかかわらず、普通以上の活躍ぶっには目を見はるものがある。 アーチャーとして、男性まっ青の点数を出し、皆の目を見はらせたのは、石倉 久子さん。 残念なことに、数年の活動の後に、結婚によって、 引退されてしまいましたが、あのまま続けていらっしやれば…と惜しまれます。 その後、すぐに現われたのが、小室 光子さん。この方の活躍は、 協会一と言っても過言では無い程で、全日本6位、国体6位と、輝くばかっである。 現在結婚されて、鈴木 光子さんとなられても、御主人もアーチャーであることもあって、 都民大会二連覇の時の1本の柱…鈴木 達也さん、活躍中。 交際中のお二人が、いつもいっしょにアーチェリー場に現れるのは有名でしたし、 いまも変わらぬおしどり夫婦で、射場に現れています。 どこのスポーツの集りでも、マネージャーとしての女性の役割りが重要な部分を占めることが多い。 板ア協の名マネージャーは、大山高校アーチェリークラブから、 板ア協に来た、山上 典子さん。結婚されて東京を離れてしまうまで、 協会の活動のあるところには、会計として、また、補佐役としての彼女のマメマメしい姿が、いつも見られました。 この後マネージャーとしてしっかっ協会を引きしめてくれたのが、 篠原 栄子さん。その頃、体協法人化などの動きが有り、 出費の多かった協会の会計をうまくやりくりし、乗り切ってくれたのは彼女の手腕によるものでした。 近頃、またアーチェリーの腕もあげつつあり、 これからも期待される人です。 現在の協会で、縁の下の力持ちとして、協会を支えてくれているのが、 前田 タミ子さん。協会員同志のパイプ役として、また、行事の時には、 いつも労を惜しまぬ前田さんの姿が見られます。 それに「エイミング」の編集に当たっている染谷 由紀子さん。今回の記念誌作りも頑張りました。 そして最後に協会のお母さんと呼ぶべき、上原 芳子さん。 つい最近理事をお辞めになり、直接協会の運営からは、離れられましたが、 上原さんが第一回目の初心者教室を経て、 協会員となられて以来、男女を間わず、公私共にめんどうみの良い上原さんに お世話になった人は数知れません。 これからも、いつまでも私共、協会員のそばに居ていただきたい大切な方の一人です。 二十周年記念『二十年のあゆみ』から転載 |
| 〜板橋区アーチェリー協会30年の歩み〜 昭和34年 板橋区弓道連盟に洋弓班として入会 昭和40年 板橋区アーチェリー協会として弓道連盟より独立 区民大会に洋弓班として初参加 第1回都民大会アーチェリー大会に参加3位入賞 昭和41年 l0月1日板橋区体育協会に17番目の連盟として加盟認可 昭和42年 区民大会をアーチェリー協会として開催 昭和43年 都民大会初優勝 区立弓道場(和弓・洋弓)の建設決定 昭和44年 10月区立弓道場完成10日区立弓道場落成 10月式・同弓道場にて区民大会実施 昭和45年 区立洋弓場(50・30M)建設決定 昭和46年 都民大会2回目の優勝 l0月1日板橋区立洋弓場落成・ 同洋弓場利用審査設定(30M260点・50M210点以上) 昭和47年 板橋区体育協会より団体表彰を受ける 第1回初心者教室開催(30名の募集に100名の応募) 昭和49年 第1回板橋区フィールド大会実施 昭和50年 創立10周年記念射会・祝賀会開催 昭和50年 高橋剛氏、東京都アーチェリー協会理事に就任 菅谷武氏、東京都アーチェリー協会理事に就任 昭和52年 東京都より板橋区アーチヱリー協会表彰を受ける 高橋剛氏、板橋区体育協会より表彰を受ける オールラウンド射場の建設決定 昭和53年 7月板橋区立オールラウンド射場落成 第1回板橋区アーチェリー協会合宿実施(軽井沢) 高橋剛氏板橋区体育協会副理事長に就任 高橋剛氏板橋区より功労賞を受ける 昭和54年 鈴木信男氏国体記念大会東京代表で出場 東京インドアオープン壮年男子の部高橋剛氏優勝 昭和55年 板橋区アーチェリー協会機関誌“エイミング”創刊 高橋剛氏、都知事より感謝状を受ける 第1回板橋区選手権大会(会長杯)開催 昭和56年 吉由一正氏・小室光子さん栃の葉国体に東京都代表で出場 (東京都の成績男子2位1,918点女子優勝1,851点) |
昭和57年 鈴木信男氏、理事長に就任 昭和58年 高橋剛氏、菅谷武氏、副会長に就任常任理事会発足 昭和59年 都民大会3度目の優勝 菅谷武氏、板橋区体育協会より功労賞を受ける 昭和60年 北原洪一氏、会長就任 都民大会4度目の優勝(2連覇) 生澤清次郎氏、板橋区体育協会より功労賞を受ける 淑徳高校全国高等学校アーチェリー選手権3位入賞(1,760点) 昭和61年 都民大会5度目の優勝(3連覇) 板橋区体育協会より団体表彰を受ける 岩瀬章氏、湯本建吉氏板橋区より功労賞を受ける 板橋区アーチーリー協会創立20周年 オリンピック選手の山本博選手、ナショナルチームの早稲田敦子 選手を迎え記念射会開催 記念式典を高島平区民館で開催する 板橋区アーチェリー協会シンボルマーク制定、デザイン末次成人氏 昭和62年 8月31日小豆沢洋弓場親水公園建設のため閉鎖 昭和63年 新洋弓場東坂下3丁目に完成 都民大会3位入賞浅井真一氏個人優勝 浅井真一氏東京都代表で63年国体に出場 平成元年 高橋剛氏、会長就任 樋口一夫氏、理事長就任 防矢ネット追加工事完成 平成二年 板橋区アーチェリー協会新会員証の発行を始める 4月1日の入会者から入会金制度の導入 板橋区体育協会研修旅行バス車中でアーチェリー競技の紹介とルール についてビデオによる研修を行なう。 平成三年 ソウルオリンピックゴルドメダリスト「ジェイバース」全針チャン ピオン「リチャード・マッキニー」ソウル全米コーチ「シェリー.ローズ」 の三氏を迎えて上級者講習会を開催 平成四年 加藤勝一氏理事長就任 平成五年 板橋区スボーツリーダー講習会開催10名資格取得 洋弓場改装工事のために閉鎖 平成六年 洋弓場改装完成(巻きワラ場新設) 平成七年 東京インドアオープンでCOM壮年女子部門で藤野恭子さん優勝 |
| 『三十年のあゆみ』より転載 | |
| 四十年のあゆみより転載 | |
| 平成10年 岩瀬 章氏 全国身体障害者アーチーリー選手権大会 (CP部門)優勝 西野 智恵氏 板橋区スポーツ功労賞受賞 平成12年 加藤勝一氏 東京都アーチェリー協会理事就任 平成14年 東京都体育協会体育優良団体受賞 高橋 剛氏 東京都体育協会より功労賞周年記念賞 高橋 剛氏、菅谷 武氏 区政施行70周年記念式典 において区長より感謝状を受与される 平成16年 板橋区体育協会主催アーチェリー審判講習会開催 3級審判員資格申請取得8名(参加30名) 佐藤 正八氏 第37回 全日本社会人ターゲットアーチェリー選手権大会 (CP部門男子)優勝 (二連覇) 石田 潤 氏 第34回 全日本ターゲットアーチェリー選手権大会 (CP部門男子)優勝 佐藤 正八氏 石田 潤 氏 ともに 上記記録により板橋区文化 国際交流財団より区民文化優秀賞受賞 石田 潤 氏 板橋区体育協会より指導者功労賞受賞 佐藤 正八氏 板橋区体育協会より選手表影 加藤 勝一氏 副会長就任 藤野 一郎氏 理事長就任 |
平成11年 板橋区アーチーリー協会発起人である高橋 剛氏、菅谷 武氏の 功績を記念した 高橋・菅谷杯(室内大会)新設 平成13年 高橋・菅谷杯が全日本公認室内大会となり板橋区アーチーリー協会 主管により区立小豆沢体育館にて開かれる 平成15年 佐藤 正八氏第36回 全日本社会人ターゲットアーチェリー選手権大会 (CP部門男子)優勝 板橋区体育協会指導者研修会(アーチェリー研修会)受託 於:加賀美アーチェリー場 東京都体育協会より体育優良団体として受賞 高橋 剛氏 東京都体育協会功労賞受賞 西野 智恵氏 第32回 全日本身体障害者アーチェリー選手権大会 (CP部門女子)優勝 上記記録により板橋区文化 国際交流財団より区民文化努力賞受賞 米国のプロアーチャー デイブ カズンズ氏を招いてコンパウンド 教室開催 (協力 シブヤアーチーリー) 高橋 剛氏 東京都アーチェリー協会理事就任 平成17年 種部 浩司氏第38回 全日本社会人ターゲットアーチェリー選手権 大会 (CP部門男子)優勝 渡邊 博文氏(CP部門男子) 渡邊 ゆかり氏(CP部門女子)が 平成17年度関東地区ターゲットアーチェリー選手権大会ご夫婦で優勝 加藤 勝一副会長 板橋区スポーツ功労賞受賞 大野 寿明氏 東京都アーチェリー協会理事就任 |