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■■ 山陽本線の思い出(その一) ■■


 父親の仕事の関係で、中学、高校を下関で卒業し、1年浪人した後、昭和32年大阪の大学に入りました。それから、昭和34年春家族が西宮に転居してくるまで、丸2年、山陽本線で大阪ー下関を何回と無く往復しましたので、私にとってはもっとも懐かしい鉄道線となりました。

 この時期、東海道本線は既に電化されておりましたが、山陽本線は未電化で、大阪以西は重量級SLの活躍の場でありました。昼行列車では、窓から首を出して真っ黒になりながら煙のにおいを嗅ぎ、夜行列車では、うとうとしながらも、規則正しくレールの継ぎ目を叩く音でスピード感を味わったことが懐かしく思い出されます。

 中でも、山陽本線で忘れられないのはなんといっても瀬野八越えです。上り瀬野ー八本松間が上りの急勾配の続く山陽本線最大の難所で、蒸機時代全て後部に補機がつきました。特急は広島で、他は瀬野での連結です。今回は、私の瀬野八を見ていただきたいと思います。


瀬野で、急行「筑紫」の後部補機についたD52131です。(S33-1-7)


八本松で、開放された後部補機D52131 (S33-1-7)


この時、乗車した急行「筑紫」の急行券


乗車券(山陽、大阪、放出(片町線)経由)


同上(裏面)
裏面の印鑑は、手荷物預り印で、当時は、ある範囲(制限は忘れました)の荷物を、手
荷物として同送してくれました
(今の、旅客機の荷物扱いといっしょです)


瀬野ー八本松間(上り特急「かもめ」車中より) (S34-3-14)


瀬野機関区です。瀬野駅の広島方から八本松方です。(S36-3-16)


八本松駅構  (S34-3-14)

 この頃は、まだ電化に向けての電柱が立っておりません。


八本松ー瀬野間(下り特急「かもめ」車中より) (S37-11-6)


八本松駅構内(下り特急「かもめ」車中より) (S37-11-6)

 この時期、「かもめ」はすでに気動車化され、電柱も立ち並んで、電化間近という感じです。上り列車から開放された後部補機(D52398)の機関車が印象的です。今回はこれで終わらせていただきます。


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