■■ 横浜散歩1955年2月 ■■
( 2001年6月14日作成、2009年11月6日 一部修正と画像大型化 )
昭和30年2月、高校2年の冬のことでした
何時もの様に兄のオリンパス35を借りて横浜に向かいました
自宅に近い東急東横線の多摩川園前駅から、東横線に乗りました
途中のことは綺麗さっぱり忘れてしまったのですが
ともかく、高島町駅で下車、高島町の交差点で横浜市電を撮影し
国鉄横浜機関区を訪問しております
懐かしい電車、機関車が写っておりますので、ご覧下さい
多摩川園前駅からの東横線で横浜へ向かいます。階段を下りホームに上がって行きました。
(1) 渋谷行きは3450形かな?・・・・・ そして、桜木町行きの5000形が入ってきます。
東横線の高島町駅で、たぶん、降りたのでしょう。
(2)
横浜は高島町の交差点。
高架の上の東横線は、高島町〜桜木町間は未だ単線でした。
電車は3700形でしょう・・・・たぶん。
路上の自動車は少なく、乗用車は殆ど外車という時代でありました。
左端の市電のポイント扱い所のタワーが懐かしいですね。
(3) (2)左端の信号扱い所のタワーをクロースアップしてみました。ポイントの扱いをするタワーは、市内電車の分岐点など、各所で見られたものです。
(4) 横浜市電500形の516。画面左端に(3)のポイント扱い所が写っています。7系統・浦舟町行。
(5) (4)の左端のタワーを
拡大しました。・・・・いいタイミングで係員が写っています。このポーズは降りる体勢と見ました。
そして、(4)の右端に写っている「架線柱」。後年・・・・昭和36年10月、私は所帯を持ち、横浜に住むことになりました。東神奈川から入った、市電の終点、六角橋です。横浜市電の架線柱も、金属柱でありましたが、鉛丹ペイントと言うんでしょうか、赤茶色の塗料で塗られていました。いまでも、あの色の柱を覚えて居ります。この架線柱、全てかどうかわかりませんが、たいてい、、右の写真のような、白熱灯が付いており、夜になると、笠の下で、ぼんやりと光っておりました。
(6) 600形の606。 1系統ですから六角橋行きですね。 約6年後、六角橋に住むことになろうとは・・・・当然ながら、このとき、知る由もありませんでした。 東横線のガードの文字が懐かしいです。
(7) 1000形の1015。 塗色は窓周りが白っぽいクリーム、腰板が紺色。2系統の、生麦行。
(8) おなじ高島町の交差点・・・・・1500形の1518が来ました。7系統で、方向幕は浦舟町です。
横浜駅方面に少し歩くと、右側(海側)に国鉄の横浜機関区がありました。
(9)
こんなでっかい扇形庫が国道一号線沿いに有ったんですよ。
まあ、つい昨日のような気がしますが、すでに50年余の年月が流れているのです。
1500形の1512がやってきました。
似たような車体で屋根に大きな押し込み形のベンチレータをつけた1150形というのがあって、
私はそのほうが好きでした。浦舟町の方向幕で、7系統。
横浜機関区を訪問しました。
(10)
なんと、入れ替え用としてC56が居たのです
。これには吃驚しました。当時は、何処に何が・・・・なんて情報は、普通の鉄道ファンには伝わってきませんので、何処でも、行き当たりばったり。嬉しい出会いも数多くあったのです。
東京地区ではあまり見かけない形式だったので結構、嬉しかった。
向こう側の機関車はすでに廃車になっていた5500形。
(11) 上と同じC56142。 後ろは8620かな? 右側に一寸、横顔の見えるのは5500形の5570。
(12) C56142を、もう一枚。
(13) 5500形の 5570です。 まさか、ここにこんな古典機がいようとは・・・・流石に、現役ではありませんでしたが。実に美しい炭水車ですね。
(14) C56160が転車台にいました。
これで、このフィルムはお終いになって居ります。
たった、これだけしか写ってないのです
なんたって17歳のときのことでした
お金も無いのでフィルムもふんだんには使えなかったんですよ
いや〜、残念だなあ