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■■ 東急東横線・急行運転再開 ■■
1955年4月


2001.9.25制作
2009.12.1/加筆訂正と画像大型化

1955年(昭和30年)4月の初旬の事でした
高校の2〜3年の春休み、3月29日から4月1日までが京都奈良の修学旅行
そのあと、このころ急行運転が再開された、東横線を見に行った
カメラはオリンパス35W


 東急東横線に「急行」が復活との明るい知らせ。前年の昭和29年と、この年、昭和30年3月に、関西の私鉄に接し、豪快な走りを体験しただけに、京浜急行は 別格として、ともかく、地元、東急東横線の走りを、歯がゆく思っていた私。

(1) 関西の電車のイメージ・・・・・・・こんな電車たち他多数の電車が、記憶に新しかった、その時の私。

 愈々、関西並みの急行が東横線を疾走、爆走するんだあ・・・・と、兄から借りた35mmカメラ、オリンパス35−Wを肩から斜め掛け、自転車で出撃したと言う訳です。

 ・・・・と、云う事で、1955年4月、出掛けて行きました。写真をご覧下さい。

(2) 先ず行ったのが、武蔵小杉駅〜元住吉駅間の田圃。 いまや高架の複々線になりました。 両側の田圃も無くなってますけれど・・・・・・ で、デハ5000系三連の渋谷行き急行が通り過ぎます。(フィルムが傷だらけで・・・・)

(3) その後、新丸子駅に移動。駅の多摩川園前よりの側線脇で、急行電車を待つ。武蔵小杉から坂を駆け下り、新丸子駅を通過、 右に曲がって坂を登り、多摩川の橋梁になります。 私のイメージでは、 高速の電車が、新丸子駅をホームを踏み潰すような音響と共に、 ハイスピードで通過して行く筈だった。
 ・・・・・・ でもね、 デハ3700×2がクハ3672を引いて、のんびりと走って行ったのです。
 嗚呼!  少々、と言うか、かなり、ガッカリしたのです。今でも、その時のガッカリが思い出せるくらいです。この場所も、既に、高架複々線。

(4) 同じく、クハ3754+デハ3700×2の桜木町行き急行です。 やはり、のんびりと通過して行く。 数日前に修学旅行で体験した関西は阪神や阪急あたりの急行電車 のイメージを引きずっていたので 余計、がっかりしたのでしょう。 でも、今見ても、このデハ3700、クハ3750は良いデザインだったなあと思います。
 背景の商店は、まさに、昭和前半のイメージどおりの街並みです。

 今度は、丸子橋で多摩川を渡って東京側にやって 来ました。

(5) 多摩川園前駅から200Rで急カーブを曲がって多摩川にかかる。 これは、各駅停車のデハ3701。 ナンバーが真中に付いてます。 桜が咲き、春。

(6) 上の場所で渋谷側を振り向けば・・・・・・・・。 この素敵な陸橋も今は無し。この右側の山上には、多摩川園の展望塔もあったのです。

(7) この鉄橋も複々線化とともに消えました。 丸子橋も架け替えられて、このあたりの風景もまるっきり変わってしまいました。 ダムは健在ですけど・・・・。

(8) 各停の渋谷行・・・・3713。

 そばの浅間神社の境内の多摩川鉄橋 を見下ろす場所に。

(9)  この先頭の電車はデハ3450と思われます。

(10) 電車部分を拡大。この電車、両運のようです。やっぱり3450ですね、これは・・・・・。

(11) 上と同じ場所から、 急行の5000。

(12) そしてラッキーなことにデキ3020もやってきた。

 一寸、場所換えして、目蒲線の多摩川園前駅から沼部方面最初の踏み切りの先に 六郷用水の小さな橋梁がある。其処へ行きました。

(13)  その上を通過する目黒行きの電車。 クハ3858を2両のデハ3500が引いています。 この高圧線の門形高圧線鉄塔、今は無くなってるようですが、 可愛らしくって好きでした。


これで、このフィルムの画像は終わっております
この時代にしてはじっくり撮ってますね
まあ、修学旅行のフィルムの残りが沢山あった所為なのですが・・・・・・・・

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