■■ 常磐線1960年6月 ■■
1960年6月5日
2002年4月:制作〜一時公開休止
2010年1月13日:加筆訂正と画像大型化で再登場
今回は昭和35年(1960年)、常磐線に乗ったときのお話です
茨城県の水郷・潮来まで出かけてゆきました
普通なら東京から総武線国電で千葉、成田線で佐原下車、そしてバス利用なんですが
一寸、趣向を変えて
上野から蒸気機関車の牽引する列車で土浦まで行き、霞ヶ浦を船で潮来まで行こうってわけ・・・・・
1960年といえば、もう50年も前のお話です。私が23歳・・・・と云う訳で、例によって『高齢による物忘れの正当化』で、申し訳ありません。かなりてきと〜な記述がありますが、ご勘弁ください。
私が社会人一年生の昭和35年6月5日は日曜日、のちに結婚する事になる人と、彼女の故郷に遊びに行ったのです。二人で上野駅まで行き、土浦まで常磐線を利用しようというわけです。
上野発の時刻はわかりませんが、朝も早い各駅停車『427列車:平行』(何故か列車番号はネガカバーに記入してありました)に乗ることにしました。常磐線は取手駅以遠は、まだ電化されていなかったので、列車は当然、蒸気機関車牽引です。上野駅には、いろいろな蒸気機関車が出入りし、いま考えると夢のような空間でありました。
フィルムは人物写真も多く、鉄道車両を扱ったものは、少ないのですが、鉄道の部分だけを抜き出して、ご覧頂きます。
上野駅に着いたのは、乗車しようとする列車の発車時刻よりかなり前だったようです。
さっそく、愛機オリンパスペンを持ちだして、上野駅に到着する列車や、機関車の入換えなどをスケッチいたしました。
考えてみると、大事な彼女をおっぽり出して、汽車撮影に夢中なんて、私は如何しようもないヤなヤツだったなあ・・・・・と、今頃になって反省したりしています。
C6221
どういう列車を引いて来たか憶えていませんが
尾久への回送列車の機関車です
5時30分着の急行『いわて』212列車の牽機かもしれません
時刻表に拠れば、
6時05分、急行列車『おいらせ』210列車が到着します
このC628は、
その牽機でしょうか、
尾久に回送する為にバックで機回し
大宮方へ回した後・・・・・戻ってくる
回送列車となる、
今まで引いてきた『おいらせ』に連結する
客車は2等寝台車でしょうか・・・・・
6時20分着の成田発810列車の到着
牽機は
C5771
向こうのホームの時計は6時18分です
この写真を撮影したシチュエーションを忘れましたが
推進運転用のコントローラを操作する職員さん
当時は、尾久〜上野駅の相互を推進運転で回送される列車も多かったのです
ブレーキホースに空気管を接続して操作してました
ケースの中には確かホーンも内蔵されていたと思います
さて、いよいよ私たちの乗る列車が入線しました。機関車が水戸寄りに付けられます。牽引機はC5788。所属は水戸。
準備完了!
発車時刻の6時35分も近い・・・・わくわくするなあ!お天気は悪いけど
6時35分、427列車は発車し、雨の中を順調に走って行く。我孫子駅に到着です。
上りホームには、424列車が停車中です
これは、私たちの乗った427列車
我孫子駅発車は7時15分
利根川を渡って茨城県に入り取手駅到着し、発車時刻は7時23分。下りホームの反対側にはディーゼル機関車の引く『常総筑波鉄道』の列車が入っています。
これが、取手駅なんて、今の駅から想像もつきません
トフ3と常総筑波鉄道のバス
藤代駅では、上りの428列車とすれ違い・・・・・・・・
。
そして、佐貫駅です。鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線に接続する佐貫駅では折しも、5号蒸気機関車が混合列車をつけて休んでいました。
雨で暗い佐貫駅に列車は進入してゆきます・・・・・
交流電化工事も進んでいます
オープンデッキ、ダブルルーフの二軸客車に5号蒸気機関車
427列車は土浦駅に到着し私たちは、ここで下車しました。常磐線下りホームの半分は、常総筑波鉄道が使っています。二両の気動車が、それぞれ、急行、普通の運用で縦列で停まっておりました。
急行『つくばね』運用のキハ505
普通運用のキハ402
私の降りた下り427列車・・・・一見重連ですが、お隣の貨物列車のD51
発車時刻は8時02分
427列車が煙を残して、遠く跨線橋の向こうに霞む
427列車が出発して行った後、少しして
気動車4両編成の急行『みやぎの』が、轟然と通過してゆきました
次の神立駅で、先行して行った427列車を追い抜く筈です
当時、水戸区にはキハ55とキハ26が配属されていたそうなので
その何れかと、キロ25でしょうか・・・・・
私たちは、土浦駅の改札を出て、線路に沿って、水戸方に歩き、地下道だったか、写真に小さく見える跨線橋だったかを通って、霞ヶ浦の湖畔、船着場
へ。
・・・・・ここから、潮来方面に向かう汽船が出て居りました。
このページの作成に当たって、
私のよき鉄道友人、MOさん、HHさん、TNさん、MTさんより貴重な助言を頂きました。ここで、御礼申し上げます。
私たちは船着場から汽船に乗って、雨の霞ヶ浦を東へ・・・・・
鉄道関連の写真は、これでお仕舞いになっています
こうして、改めて当時の写真など眺めていますと
今のように、早くて便利ではなかったけれど、いい時代だったなあと思うのです