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東京急行電鉄の電車・1955年4月 ■■
2000.2.27制作
2009.11.28 / 加筆・画像大型化と追加
1955年4月
高校の3年生になったばかりか、なる前の春休みの事と思われます
何を考えたのか、東急の電車を矢鱈と写しています
家の近所を走っていて、毎日おなじみの電車なので
「 記録しておこう!! 」
なんて殊勝なことを考えたのかもしれません
カメラは、兄のもので、オリンパス35-W形、ズイコーC F3.5/40o
という、中々の性能のレンズが付いていました。当時は当たり前だったブライトフレームの無い、逆ガリレオ形のファインダでしたが、これが見難い。走って来る電車が小さく写るか、はみ出してしまうので、作画が難しかったのです
・・・・・が、これは、私の技術の問題だったのでしょう。
最初は、池上線の雪ケ谷の検車区で
す。
私は子供の頃から『雪ケ谷の車庫』と言い慣わして、しょっちゅう遊びに行っていた場所です。昭和20年代前半は、戦災で焼けた電車が、置きっぱなしになっていたり、壊れかけた、デト(電動無蓋貨車)や、デワ(電動有蓋貨車)が有ったりで、子供の私たちが構内で遊んでいても別段怒られるという事も無かったし、まあ、遊園地感覚で遊びに行って居りました。
高校生ともなれば、一応は事務所に断って、構内通行の許可を取って撮影しましたが・・・・。
まあ、ご覧下さい。
(1) 池上線の代表的な車だったデハ3100で、3110〜3112が運転室ドアをつける工事も行われずに原型を保っていました。客室と運転台を仕切るのは、俗にHポールと呼ばれる丸棒で琺瑯仕上げだった様な記憶が有るのですが 、真鍮だったかもしれません。この、ぶっきらぼうな真っ平な前面が良かったです。
(2) 3112の正面です。あんまり目立たない貫通ドア、リベットの列、真ん丸の行先板がお似合いです。今は車体組みこみが当たり前の尾灯も外付けがあったりまえ、これまた格好良くって。
(3) その頃、日々お馴染みだった方向板。これ以外に、真ん中に雪ケ谷大塚とだけ縦書きしたものもあった気がしますが、記憶は曖昧です。
(4) 3450形です。前面貫通型に改造されても格好良かったのですが、非貫通の姿は、更に端正で、実に美しい。東急の代表的車種と云えましょう。ヘッドライトの上の変な突起は向こう側にある「みなと湯」( ・・・・ひょっとして『松の湯』だったかな?)と云う銭湯の煙突です。うちに風呂は有ったけれど、昔は風呂を沸かすのは週に1回くらいだったので、友人と入りに行ったもんです。
(5) 3200型の3205。リベットの多い、深い屋根が特徴の川崎タイプの、この車は両運でしたが、この頃、既に片運、運転室ドア付きに改造されています。ついでに、ドアも中央寄りに移されて、オリジナルとはだいぶ印象が変わりました。
(6) デト3010形の3014です。だいぶ長い間、廃車同様に置いてあった車体を、どう云う風の吹きまわしか、更新修繕しまして、新車になりました。
2軸単車の電動無蓋貨車で、無蓋部分の真ん中に櫓を立ててパンタグラフを載せた姿は、可愛くて、ひょうきんでした。
でも、私は走ったのを見たことが無いのです。こんなのが、無蓋車の2両も引いて走ったら、素敵な光景だったことでしょう。
お次は、同じ池上線の雪ケ谷大塚〜御嶽山の間で撮影です。
(7)
蒲田に向けて、3202を先頭に三連の電車がのんびりと走ってきます。中間に挟まるのは、たしかサハ3350で、車体のタイプが全然違うので、編成としての美しさは一寸落ちるけれど
・・・・・。
門形高圧線の鉄塔も、背が高くスマートで、いかにも郊外電車といった感じで、子供時代は『よその線』より、池上線の方が格好良いと、思ってましたっけ。当時、電気技術者だった父親が、この高圧線の電圧は5万ボルトなんだと教えてくれました。
(8) (7)の後姿です。
(9) 撮影は、同日ではないようですが、蒲田行の3210
以下三連。撮影場所はひょっとすると、御嶽山〜久が原間かもしれません。遠くに御嶽山駅らしいものが写って居ります。・・・・・なんだか、自信が無くなってきました。
こんなに沢山の3200を写しているのを見ると、当時私は3200が好きだったのかもしれません。
お次は東横線で、多摩川園前〜新丸子間です。いまでは、ここは高架化されて、昔をしのぶ手がかりさえありません。
(10)
当時の東横線で一番美しい編成はデハ3700×2+クハ3750だと、私は思います。
戦後の規格型と言われた電車でした。3751を先頭に桜木町に向かって玉川の鉄橋を渡って来ます。向うに見えるトラスも含めて、現在の多摩川橋梁は全く違った姿になってしまいました。
(11)多摩川を渡る渋谷行電車。最後尾はクハ3676。
(12) 3450型のトップナンバー、3450が荷物電車の運用で、多摩川鉄橋への25パーミルを登って行きます。
(13) デハ3461を先頭に、 新丸子を出て渋谷に向かう電車。新丸子〜渋谷間の折り返し運転で、当時、新丸子駅の桜木町よりには、折り返し列車用の引き上げ線が有りました。
(14)
クハ3850型の3860。クハ3850は整った形のクハで、同系車体の電動車の無い、ちょっと可哀相な存在でした。デハ3800というのは有ったのですが、Hゴムで窓の上半分を支えた、なんだか当時の気動車みたいな雰囲気の電動車で、タイプが違いました。
クハ3850の台車はオイルダンパつきで、乗り心地も良く、学校帰りに東横線を利用する時には、待ってでも、乗ったものです。
(15) クハ3770は多くは払い下げ国電の更新車でいろいろなバリエーションがありました。3780です。
(16) クハ3670型の3671。いかにも国鉄クハ65といったスタイルです。
今度は、
たった一枚ですが、目蒲線です。
(17)
3501で、同じ4月に、家から7kmほどの京浜急行・雑色駅辺りまで自転車で京浜急行を撮りに行った帰りだったのでしょう、蒲田と矢口渡の間で撮影しています。
3500型は深めのRのゆるい屋根と大き目の窓が特徴でした。同系のクハの無かったのが惜しいのですが、当時は目蒲線に集中配属されていました。
1955年・昭和30年4月・・・・・東急電車のアルバムでした