■■ 東京私鉄巡り1954年10月 ■■
(2000年3月8日製作)


2006年10月2日:写真を大型化しました
このページを製作した当時、インターネット接続は、専らダイヤルアップ
画像も350×262pixelでした
ブロードバンドが普通になった事でもあり
画像サイズを500×333pixelと大型化して見やすくしました


 今回は思い出話をしましょう。1954年 (昭和29年)といえば、私は東京都内のさる高校の2年生でした。その夏に10日ほど関西の私鉄巡りをして、関東とのあまりの格差(関西が上なのは当然で)に大ショックを受けたあとの事です。
 秋の文化祭で私の所属していた工学部というクラブで、鉄道に関する展示をする事になりました。部の名前は工学部でも、実際には鉄道研究会で、HOレイアウトの運転と、鉄道写真の展示をするのです。写真展示の内容は殆ど忘れてしまいましたが、その一部は東京の私鉄を写真で紹介するというものでした。皆の写真を寄せ集め、足りない分は『特写』しました。私が特写した分のフィルムが出てきたので、それをご覧頂こうというわけです。
 なんと言っても、私の写真のテクはひどいもので、構図は悪いし、フィルムにキズが付いてるし。ですけれど古さに免じてお許し下さい。


 さて最初は南の方から行きましょう。京浜急行で す。

 まずは『学校裏駅』、今じゃあ平和島 駅なんですが昔はこう云ったんです。のっけからの疵だらけで済みません。デハ500+クハ550の急行は、顔のスッキリしたクハ550が好きでした。なんたってセミクロスシート!たったの2両編成。


(デハ500+クハ550の急行品川行/学校裏駅)

 そして京浜の代表的車両の230です。230+140+230でカーブ、踏み切りの多い学校裏、京浜蒲田、鶴見市場あたりを汽笛をならし、轟音を響かせて駆けぬけて行く姿は、今でも、はっきりと覚えています。オレンジっぽい赤と、黄色に塗り分けられた大窓の230の最前部に座って、運転士の気持で京浜間を乗ったものです。


(デハ230+クハ140+デハ230の急行浦賀行/学校裏駅)

 さて、お次は、六郷土手駅と六郷川の鉄橋です。300型と420型。


(六郷川鉄橋:デハ420の二連)


(六郷土手駅で300の2連)


(パンタを向こう側にしての300も良い格好 )


(六郷土手駅で300の2連)
300型420型の形式同定に関し、良き友K.Kさんに大きなバックアップを頂き感謝です


 さて、次ぎは何処にしましょう。いや、実はこのフィルムに東急が入ってないんですね。別の日に撮ったんだろうと思うのですが・・・。んで、今回は東京急行は無しです。ごめんなさい。
 まあいいや、京王帝都に行きましょうか。確か、池の上駅附近と思うのですが、1700型の1715ですね。井の頭線は窓の大きな電車が多くて好き。東急と同じ位の車なのに走りが静かでした。何故だか判りませんが。友人達もそう云ってました。

 明大前駅に行きましょう。当時、最新式の2700型(釣り掛けだけど)、2713です。井の頭線にも1900型という湘南型がいました。でも2700は車体の造りが違ってまして、窓の上下に、補強用と思われる盛り上った筋がありました。


(デハ2700×2/明大前駅)

 デハ2150型は路面から乗れたステップ付きの2扉車だったと聞いております。ダブルの屋根に並んだトーピード型のベンチレータもお洒落です。今日は東八王寺発の新宿行きの準急。当時のカラーは濃緑色、後の草色と違いイキでしたねえ。
 京王帝都は運転速度が遅のに、踏み切りに『最近電車が速くなったから気をつけて』みたいな立て札が立ってて笑えました。


(デハ2152ほかのダブルルーフ・小型車三連/明大前駅)


 小田急に行きます。今の新宿駅からは想像も出来ない新宿駅。貨物ホームが有って、国鉄との連絡線までありました。

 各停で頑張っていた1100型の1107。左の端に電気機関車1010型が写ってますね。新宿にもこんなのどかな風景が有ったのです。

 箱根行きの一時は1910型といった デハ2000型2002の急行。2扉、クロスシート、トイレ付きの3連です。まだ、黄色と藍色の塗り分けになる前の端正な姿です。


(画面右の土手は中央線緩行で、国鉄への連絡線が見えます)


 京王と小田急の順序が逆になりましたが、お次は西武 鉄道ですね。既に西武新宿までは開通していましたが、撮影は高田馬場の国鉄のホームからの撮影です。

 私は西武電車はあんまり詳しくないので、今、この写真を見て形式を当てる事が出来ません。左のは、川崎車輌タイプで、全国的に、各地の私鉄で見られました。ちょっと考えても、東急、西武、阪急などなど、深い屋根、小さな窓、人によっては嫌いと言う方もあろうという特徴的なスタイルです。

 これも、よくわからん。多分、西武の在来型と思いますが、トレーラーとタイプが違いますね。それにしても、高田馬場駅の小さい事、今では想像も出来ません。


 山手線にふた駅乗って池袋で東武鉄道東上線の撮影です。

 郵便合造車が居ました。形式もナンバーも自信無いけれど、多分、クハユ290型299だと思いますが、果たして・・・・。電動車はモハ3210でしょうか、大きなパンタグラフ、車体下端の切れこみが、いかにも東武!

 純粋の東武タイプ、よく言えば素朴、悪く言えば鈍重なクハです。右側のは、東武の63タイプでしょうか。赤羽根線ってことは無さそうに思えますが如何でしょうか?昔の池袋をご存知の方、教えていただけると嬉しいのですが。


 山手線を時計方向に回って京成電車ですね。場所は全く覚えてないのです。

 モハ113。前面5枚窓の如何にも京成という感じの電車。多分、堀切菖蒲園か京成関屋駅かな、なんかあの辺の駅だった筈です。

 クハ2104は、これもイイカゲンだけど 高砂駅かな?後ろに2両ついてるモハは500型といったと思うんですが、両運でドアの位置が左右対称型じゃないユニークなスタイルの電車だと思います。


 オシマイは、営団地下鉄です。地下鉄といっても、今みたいに、幾つも路線が有ったわけじゃなく、渋谷〜浅草間の今の銀座線と、後に丸の内線になる路線が 、御茶ノ水〜池袋間が部分開業しておりました。

 1572と1573が出来たばっかりだったのか、渋谷で写しています。銀座線には、100型という、オデコの両側にベンチレータが付いてる車が有りました。そして、1000型、1100型、1200型、1300型、1400型とあって番号が1001から通しになってました。1470と1471があって、その次の1500型なので、1572と3ですね。1500型からはドア間の4枚の窓が等間隔になってスマートになりました。それまでは2+2だったのです。当時の最新車 なのに釣り掛け駆動でした。


(1573)


(1572)

 そして、右側、丸の内線の300。WNドライブ、角ばった車体、薄いダブルルーフ、前面の方向幕に腰の部分の二つの前照灯、真っ赤な車体に白い帯、クローム鍍金切り出しのサインウエーブ、車内はえんじ色のシートに、ピンクの壁、床はグリーンと、私達の意表をついた電車でありました。撮影場所は後楽園駅で本郷三丁目に向かうところです。当りの建物は皆、背が低く、本郷の丘もひらべったいですね。


 なーんて、書いてきたけ れども、ホントに記憶が怪しいんで申し訳無いです。こんな事になるので、撮影のデータは大切にしなければいけません。せめて、撮影日と場所、車輌番号はほしいですね。30年、40年経つと、切実に感じますよ。

 と、いうわけでこの辺でオシマイに致しましょう。