伊豆箱根鉄道軌道線・年表(伊豆箱根鉄道広報宣伝課様ご提供)

 

■■ 伊豆箱根鉄道軌道線1962年1月 ■■

 昭和37年の1月27日、東伊豆の、とある宿泊施設で、鉄道好きの仲間で新年会をやりました。その翌日28日、何処かへ乗りに行こうと云う事になり、丹那トンネルを抜けて三島へやって来ました。三島から伊豆箱根の駿豆線で一駅の三島広小路で下車しました。ここから、沼津まで軌道線が走っていたのです。
 昭和38年の2月4日に廃止されたのですが、当日は未だ元気でした。

 このレポートを書くにあたって、伊豆箱根鉄道広報宣伝課様に色々とお教えいただきました事をここで御礼申し上げます。
 御提供頂きました
軌道線の年表はここをクリックすればご覧になれます。

 と、云うわけで三島広小路です。ここからの具体的記憶が、殆ど無いんですね。困った事であります。これから先はネガを見ながら何とか搾り出した数少ない記憶を繋いだものです。


たぶん、三島広小路・・でも後ろの床屋さんが広小路だし(^.^)・・で204号車

  
204号車の台車・ポール・前照灯と尾灯(埋めこみで結構キマってる)・室内

 少し行った所の路上で撮影です。204号車がやって来ました。

 今度は202号車です。場所は上の場所と違う様ですがよくわかりません。

   

 さて、電車に乗って移動しました。電車は途中の国立病院前でオシマイになりました。先にある黄瀬川の橋が昭和36年6月の大雨の影響で渡れなくなっており、終点の沼津駅前までバス連絡になっていると言うのです。

 折り返しは、こんな何にも無い所でした。道路は舗装していないしスゴイ光景です。いま考えると『良いなぁ!』なんて思ってしまいますが、毎日この電車に付き合ってる人たちにとってはたまったもんじゃあなかったでしょう。

 そういうわけで、ポールの上げ下げの作業がありました。ポールってモノは見てる分には実にいいもんです。でも、雨の日なんかタイヘンだった事でしょう。

206号車の台車と懐かしいトーピード型のベンチレータです
 

 さて、国立病院前停留所の近くには長沢車庫がありまして、軌道線の車輌の保守を受け持っています。。流石は水の三島。構内の掘りぬき井戸からは水が大量に湧いていて中々素晴らしい環境です。

 向上の壁に掛かっていた仕業検査表の黒板に記入された在籍車輌は
bW・15・16・17・201・202・203・204・205・206の10両となっておりました。


木造車が3両、今じゃあ信じられない光景が展開していました

 
15号車と201号車:15号車の顔は大雄山で見たような記憶も有りますが

  
折畳式のステップはドアと連動していました(アニメ風に)

 電車代行バスがやって来ました。乗換えです。電車は202号車。

 

 代行バスに乗って、沼津の駅前に来てみますと、終点の屋根の下になんと2両の電車が島流しになっている、悲しい光景があったのです。たしか、この電車達はついに走ることなく軌道線廃止の日を迎えたらしいです。(もう1両居る筈なのですが、良く判らない)

 
電車の前には土砂の小山・代行バスの看板は時間の経過の長さ

 これで、伊豆箱根鉄道軌道線、三島広小路〜沼津駅前の、嬉しくて寂しい旅は、終わりました。

 伊豆箱根鉄道のホームページはここをクリックすれば御覧になれます。

 このあと、私たちは、キハ50の国府津行きに乗って御殿場線経由で東京に戻ったのです。御殿場線での写真などは後日、機会があれば発表できる事と思います。