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私にとって京浜急行の電車と言えば、デハ230ですね

デハ700(730)も良いんですが、一つ選べと言われれば
それは、急行運用でクハ140を真ん中に挟んで、驀進するデハ230しか無いのです

そんな、デハ230を沢山撮影した筈なのに
ネガを調べて見ると意外に少なくて、こんな筈ではとガッカリでした
そんな、デハ230の画集です


2000.7に作成したものを
2009.10.30 以前の内容を生かしつつ再構成
画像入換・大型化・新ページ追加


 昔話を聞いて下さい。昔の想い出は全て美しく素敵になってしまうものですが、このデハ230型だけは、違います。昔、実際にこの目で見ていた頃だって、素晴らしく、美しかったのです。掛値無しで、私にとって理想の電車だったのです。

 昭和30年前後、私の若い頃のお話です。高校に通っていた頃、私は東急の池上線の沿線に住んでおりました。学校は千代田区にありまして、池上線で蒲田に出て、京浜東北で品川、ここで東海道本線に乗換えて、新橋で下車して、地下鉄(何しろ路線は一本しかなかったので銀座線と言う云い方はしませんでした)で赤坂見附下車での通学でした。なんたって鉄道が好きなので、朝の通学は品川で乗りかえる御殿場始発の客車列車に乗るのが楽しみでした。EF58や、EF53なんかが引いて、スハ32(二桁番号のダブルルーフ車、三桁番号のシングルルーフ車)とかオハ35とかが連なっておりました。
 そして、楽しい下校時、新橋から門司行きの客車列車で品川に降りた私は、京浜急行に乗る時が有りました。品川から京浜蒲田まで急行に乗るのです。京浜蒲田から、東急の池上線の蒲田駅までは歩いてもたいしたことは有りません。勉強は付いて行くのも怪しいくらい苦手だったのですが、通学時の楽しみがあったので「脱線」もせずに、なんとか卒業出来たようです。
 そうそう京浜急行でしたね。乗った急行電車は勿論、デハ230+クハ140+デハ230の3連です。

 デハ230は両運の電動車で、大きな窓の軽快な電車で、一番前まで伸びた座席に座れば気分はもう運転士です。進行方向左側に寄せた運転台は、隙間から見ると東洋電機の細いコントローラを運転士がカリカリッと操っておりました。
 連結器もかっこ良かったですね。たしか、ウエスティングハウスの密着連結器で電気・空気ともに接続できる様になっておりました。国鉄の密連みたいに無骨でデカくなく、小ぶりのスマートな物でした。


 さて、高校在学中の私は、土曜日とか日曜日、家から京浜急行の雑色とか六郷土手あたりに自転車で、 片道1時間近く掛けて、電車を見に行ったものです。この写真は、1955年4月のものです。
 帰りなど、ついでに、六郷の鉄橋の傍に踏み切りがあって、そこで国鉄東海道本線も眺めたもんです。次ぎの二枚の写真は、その雑色駅附近で写したものです。地響きをたてて爆走する電車、もう、どきどきしながらオリンパス35Wのシャター釦を押し ました。

 
1955年4月・雑色附近を驀進するデハ249(左)とデハ251 (右)


 ここで、ちょっと脇道にお付合いください。

 下の電車はデハ285です。撮影は1960年2月、大学卒業寸前のことです。場所は京浜川崎駅の品川寄りの海側、大師線の電留線です。許可をもらって構内に入るとデハ285がドアを開けて休んでおりました。下の写真をクリックしますと、デハ285のシート、室内灯、吊革など細部が御覧になれます。

 京浜急行を愛するKKさんから、上の写真の右側、『可愛い室内灯』について、こんなお話をうかがいました。

  『 室内灯のシェードは、夏はライトブルーのものに取り替えていたのです。精神的冷房車です。昔の人は結構考えていたのですね。昭和30年代後半、あの車は最高時速104キロ出ました。遮光カーテンがフリーストップになっておりました。
 たしか、車輪径が840ミリで低重心、33トンの軽量軽快車でした。 』

・・・・いいお話です。デビュー当時の、時代の余裕を感じますね。

 デハ230と殆ど同じスタイルで3扉の電動車があって、デハ290と云いました。1960年2月の撮影です。露出過度の写真なんですが、「連結器」と「赤白切替式の尾灯」の写真が有りますので、ご覧下さい。上と同様、写真をクリックして下さい。


 1955年4月。場所は良く解らないのですが、多分雑色駅〜六郷鉄橋の筈です。デハ255を先頭に浦賀行き急行です。先頭・真中にオジサンが立ってますが窓の中に柱みたいなのが見えてますね、その隙間から運転台の中が良く見えるのです。コントローラのカリカリ音も聞こえて、もう運転士気分です。私はこの様に立ってる方が左側に見える人の様に座ってるのより好きでした。


 こちらは、1959年の1月、京浜川崎駅の大師線の留置線です。デハ264の颯爽とした姿。
 外付けの尾灯がいいですね。この時代の車には埋め込みよりは、このほうが似合うと思うのです。


 上の写真を撮っていましたら、脇の本線を週末特急パルラータが通りました。700か730か判りませんが、2ユニット4連、冷房無し、大型前照灯の端正な姿は忘れる事が出来ません。(1959年1月撮影)


 

 デハ269です。撮影は1960年の3月ネガの前後の駒を見ると場所は川崎で、クハ140形が消滅すると言う話を聞いて撮影に行った時のものです。右に半分写っている電車、形式は分かりませんが、車体色が既に赤色に白帯になっています。
 私は、少年時代以来お馴染みのオレンジの赤に黄色の塗装の方が良かったなあと思うのです・・・・・・・。

 デハ245。逗子行き各駅停車の運用/撮影は1962年3月
 当時、私は結婚して未だ1年も経ってませんでした。京浜東北の東神奈川駅から横浜市電で直ぐの六角橋の奥のほうに居りました。この日は友人と三浦半島方面に京浜急行に乗りにいったんですね。
 事情はみんな忘れてしまいましたが、なんたって50年前のことです。如何いうわけか京浜急行の子安駅です。ホームから見上げる横浜線は未だ単線でモハ73とかモハ60の4連とかが走ってました。子安駅は当時は特急も停まりました。各駅停車の運用で逗子行きの運用で 、2色塗りわけで格好よかったな〜。


このページの画像は、デハ245を除いて、 大型の画像 を別ページにまとめてあります
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 私の50年来の鉄道友達、はーさんのホームページに
京浜急行デハ230のページが あります
昭和33年から昭和44年までの
デハ230の元気で活躍していた頃の、カラーと白黒写真が沢山あります
是非ともご覧下さい

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