■■ 箱根登山鉄道
・小田急1954年(3) ■■
1954年・昭和29年12月
2007-04-22
■ 小田原近辺の小田急など ■
箱根登山鉄道小田原市内線で国鉄の小田原駅
そして小田急の電車を撮影しようと
小田急の線路に沿って新宿方へ歩きます
箱根板橋駅で軌道線の撮影をしている時に、小田急の新宿行きの急行2000
系三連でやって来ました。トップナンバーデハ2001が先頭です。先ず、この写真をご覧下さい。セミクロスシート、トイレ付きで
、如何にも長距離電車という雰囲気の電車でした。
箱根登山鉄道小田原市内線の撮影を終えて、市内線に乗る。途中でも一寸降りたりして、国鉄の小田原駅に着きました。そして大雄山線の線路にそって歩きました。土手の上の国鉄の線路をEF10が貨物列車を引いて上って行きます。機関車の次位は木造のワフ28000、トーピード形のベンチレータが可愛い貨車でした。
そして、駿豆鉄道大雄山線の33(電柱に掛かって見難く、32とも読めますが・・・・)です。こいつも木造車ポール電車です。
そして、少々歩きまして、小田急の線路にでました。確か刑務所みたいなのがあったような気がする。高い塀がありました。今はどうなっているかしら。そこから少し行った所の踏切、あたりは広大な田圃でした。
いま、地図で見ると、田圃の向こうに見えているのは、どうやら芦子小学校らしく、そうだとすると、撮影場所は、小田原駅から直線距離で1キロも離れていません。
現在はおそらく、住宅地と化しているのでしょう。1600型の急行がやって来ました。クハ1
654を先頭に2ユニット4連の美しい編成です。
1800+1850の各駅停車もやって来ました。勿論、更新改造する前のオリジナルのモハ63です。今考えると、悪くは無いんじゃない?とも思いますけど、当時は、なんだあ、ロクサンだあ!って思ったものです。
そして、この写真、新宿行きの電車のようです。先頭が、窓の具合を見ると、どうやら更新前、両運時代のデハ1400かなあとも思うし、どうでしょう?次位のデハも両運ですが、窓の具合で、これまた更新前のデハ1200。最後尾のクハは1450。
茶色塗装、サイドの窓下に方向板を下げ、丸に小の小田急社章をつけ、なかなか、美しいではありませんか?!
・・・・・と、フィルムはここで終わっております。どうやって帰ってきたのかも判らないんですよ。フィルムカバーに書いてある1954年12月の日付が頼りでした。では、このへんで小田急・箱根登山の旅のお話を終わりましょう。
やっぱり撮影時のメモは、こんなときに必要です
いまさら気が付いても遅いですが
若い鉄道愛好家諸君、この辺り留意し、ちゃんとメモを残しましょう
なーんて偉そーに云ってしまう老ファンであった