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■■ 大宮駅界隈1954年 ■■
1954年3月


( 2009.10.22/・加筆訂正・画像大型化 )

1954年3月といえば高校2年から3年になる春休み
鉄道ファンの友人とともに、大宮へ行ったのです
大宮といえば・・・・・
大きな貨物操車場、国鉄の工機部、高崎線と東北本線の分岐点、さらに川越線と東武鉄道
そんなわけで、鉄道好きの私たちには、実に楽しい一日だった筈


 『大宮駅』に着くと真っ先に行ったのが川越線のホーム 。


川越線の列車が出てゆく/キハ44000です
・・・・この形式は、たしか電気式


そして、機械式気動車キハ42611が、丸い特徴のある顔で居ました
キハ42500の600番台は戦後の製造だそうで
この写真を撮った頃は未だ新車状態
尾灯の赤い円板をたたんだ形が今見ると中々
連結器は簡易型


埋め込み型の前照灯もお洒落なキハ42611
窓の柱の間隔の不ぞろいが面白い


当時の私は、きっと、カッコいい!と感じたのでしょう
アングルを変えて、もう一枚、撮っていました

 川越線のホームから、ちょっと移動して・・・・・・・ここは、何処だろう?たぶん、機関区とかあったから、そちらの方面だと思います。


当時、バリバリの新車、キハ45000が居ました
紺色と灰色っぽいクリーム色がおしゃれ、台車の黒さが新車を語って居ります
係員の方たちが床下を覗き込んでなにやらやっています
軽量化のためには仕方がなかったのでしょうが、ゴムブロック枕バネの乗り心地は凄かった


上とさほどは離れた場所ではない筈ですが、電気機関車EF12 1
こういう写真を見ていると
電気機関車はやっぱりデッキ付だなあと思います


操車場の入換関係でしょうか
D50 152


 東武鉄道の野田線 のホームに移動します。『東武野田線』は、当時は単線で、国鉄大宮駅の端っこから出て居りました。


信号機は腕木式
電話線の鉄柱が良い姿ですね


モハ3254がトレーラーを2両付けて船橋行
如何にも東武らしい凸凹編成


電気機関車No.3
デキ3と言ったらしいイングリッシュエレクトリック製
でっかいパンタがお似合いですね!全体のバランスもよくお洒落な機関車ですね
のちの、ED3000


 大井町駅のそばの大井工機部(と私たちは呼んでいた)と、大宮の工機部は、蕨の日本車輌と共に 憧れの場所でした。 正門で入らせて下さいとお願いしましたら、いい時代だったんですね、簡単にOK出ました。
  宝の山だったはずなのに、写した枚数はちょっぴりで・・・・・・。


『DD10』は、1935年川崎製の国産電気式ディーゼル機関車第一号
1947年の廃車で1965年解体とWikipediaに書いてありました
程度もよく、永久保存の文化財モノでしたが、やっぱりこの国は産業遺産には冷たいですね
左隣には、異色の電気機関車ED54

 
これは珍しいスイスはブラウンボベリ製ED54は1−D−1の車輪配置
すでにパンタは無く灯火もなくなってる
これも、無くなっちゃった・・・・


碓氷峠越えの機関車ED42がいます
お隣にはED54・・・・・上の写真の反対側になります


ブーフリ式とか聞いたED54のドライブ装置
以前、鉄道趣味誌に図面が出ていた気がしますが、凄く複雑で
私の脳ミソでは理解できませんでした


カワイモデルのED14は見慣れて居ましたが、実物は初めてでした
ED14 4


そして、この他の記憶は綺麗さっぱり、まるっきり残っておりません
・・・・・・・・と、いうわけで、これでオシマイです


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