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■■ 東海道本線の旅 ■■
1954年8月11日

『昔話』を聞いてください。50年近く昔の私の少年時代の話です

高等学校に入りクラブ活動の鉄道仲間も出来て電車汽車の毎日
そんなとき、兵庫県西宮市の会社に勤めていた兄から『遊びに来て良いよ!』って話が有りまして
もう、有頂天!


◆1954年、昭和29年、世の中多少安定してきて生活に余裕も出来てきた時代の事です。私は東京都立某高校の2年生でした。1年の時は放送部から写真部と渡り歩いて、2年になって工学部というと、名はいかめしいが内容は鉄道研究会のクラブに腰を落ち着け、通学コースも大田区の自宅から、通学先の千代田区まで、月替りでコースを替えて電車を楽しみつつ通学し、『授業と試験以外』は毎日が楽しい高校生活を送っておりました。
◆そこに、兄からのお誘いで、10日近い長期間、関西の私鉄国鉄の触れる事ができる事になりました。
夏休みの事です。既に大学を出て兵庫県西宮市の某研究所に就職し、所内の一室で自炊の日々を送っていた兄が、泊めてやるから来ても良いよ・・・・って云ってくれました。夢のような話でした。
◆憧れの関西の行ける。素敵な電車に乗れる。写真も撮れる。どんな電車がいるんだろう?今と違って、遠隔地の情報が豊富に無かった時代です。大きな期待を抱いて旅に出たのです。費用はどうしたんでしょう?小遣いも沢山貰ってたわけでなく、高校生がバイトするなんて考えもしなかった時代ですので、たぶん家族(兄も含めて)が出してくれたんでしょうね。


◆関西への旅に出る日が来ました。1954年8月11日の朝、東京駅にやってきました。山手線で東京駅に着くと、反対側の中央線のホームにモハ40ほかの淺川行きの電車が止まっておりました。今の東京駅とは大違いで、中線が一本有りますし、架線の支柱やビームもよき時代の名残があります。いまでもちょっぴり残ってますね。

◆乗った列車は『急行・阿蘇』で、たぶんスハ42か43だった事でしょう。発車時刻は忘れてしまったのですがたぶん9時台でしょう。京浜間を快適に走って、

 

横浜に着きます。東横線の3700系のお出迎え。この辺も大きく変わって今では何処だか判りませんね。

横浜を出て、平塚駅を砂塵を巻き上げながら通過します。

鈴川駅、今の吉原駅か。岳南鉄道の機関車ED223がいました。バックの電車もなかなかのあじわいです。

蒲原〜由比〜興津と海辺の風景を楽しみながら、袖師を過ぎると静岡鉄道と平行します。横砂行きの67号車です。つぶれたようなトーピード型のベンチレータが良い。

◆色々あって、浜松です。以前に通ったとき、駅の手前の側線にC53の廃車体があったような記憶もあります。
小さな川を渡ると右側が遠州鉄道の馬込駅。これがスイッチバックになっていました。丁度、電車が一本停まっていて、発車を待っています。留置中の電車も可愛らしい。

今この辺は、東海道は高架だし、遠鉄も新駅に移行し、訳が判らなくなっております。
◆豊橋です。豊橋鉄道(当時も豊橋鉄道だっけ?渥美電鉄だっけ?忘れた)の電車がいました。

よく見ると集電装置がパンタじゃないですね。Yゲルかなあ?
名鉄も丁度居ました。3850系の特急です。重厚なクロスシート、大きな窓、マルーンとピンクっぽいクリームの塗り分けで、好きでした。

やがて、列車は、名古屋に入って行きます。熱田駅、名鉄では神宮前駅ですが知多方面からの線が国鉄をオーバークロスして合流します。名鉄本線との間が電留線になっていて沢山電車が居る。もう、大喜びです。

これは、3800系ですね。戦後の規格型ですが、見事に名鉄スタイルです。日本車輌の工場にはインド向けのディーゼルカーが出来上がっていました。

(スカイラインが今とは大違い)

名鉄と平行して走り、名古屋駅に列車は入って行きました。この辺で、もうお昼を過ぎている筈なんですが、お昼ご飯はどうしたんでしょう?な〜んにも覚えてません。でも、なにか食べたんでしょうね。

◆さて、昭和29年1954年の夏は、東海道本線の電化工事も全線完成に至らず、名古屋から先は蒸気機関車の世界でした。機関車を付け替えて、出発です。大垣から先には、関が原越えの勾配区間も控えています。(新垂井経由にはなってましたが)
名古屋を出ると、今でもそうですが、地下から出てきた名鉄と平行します。3850系(3900系かも)の神宮前行き特急とすれ違います。

栄生の電留線には3400の姿も見えました。

名鉄の本線をオーバークロス、西枇杷島駅を見て、稲沢駅へと急行阿蘇は走る。

稲沢ではD50201に見送られて、じきに岐阜駅に到着しました。

岐阜駅ですれ違った、上り列車のC59は実に洗練された美しい機関車です。実際、旅客用として純粋に設計された最後の蒸気機関車ですものね。岐阜駅を出れば、大垣駅は直ぐです。

大垣駅にはキハ41551も居ました。樽見線用かしら?名古屋から先の電化工事は既に始まっておりましたが、大垣駅はまだこんな状態でした。

C11の姿も見えました。この客車は何線を走るのだろうか?

これも、大垣駅で見かけた救援車。左がエ742、右がエ745です。長い板バネ、屋根上のランプ用の筒、如何見ても明治の客車系で荷物車か何かだったのでしょうか?まあ、よくこんなのが残ってたものです。

◆大垣から下り線は、上り勾配対策の新垂井駅を通る線路を通ります。単線です。やがて、関ヶ原駅の手前で上り線をオーバークロスして、関ヶ原駅の進入します。

このあたりでは、既に電化工事の電柱も並んでおりました。
関が原から米原へ下り勾配、貨物用のD6211はダイナミック。通信線の電柱も楽しい形です。

色々有って、列車は無事に京都駅に滑り込みます。80系の電車が居りました。色がマルーンとベージュの塗分け、関西急電色で、いよいよ関西に来たんだなあの、実感でした。

いよいよ、素晴らしい電車たちの走る関西に来た。もう、嬉しくってうれしくって、堪りません。なんてったって始めての泊りがけの一人旅、未知の電車に乗れる!知らない街を歩ける!興奮コーフンの、若きむーさんでありました。

◆大阪駅で急行阿蘇から降りて下りの国電に乗りまして、兄の住んでいる西宮駅まで参りました。駅からどういうコースで兄の居る、某研究所に着いたのか、記憶がありません。歩いて行くには遠すぎますのでタクシーに乗ったのかもしれません。
◆まあ、無事に兄の所に到着。夕食を食べさせて貰ったんです。明日からは、みっちり電車に乗りまくりできます。


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