戻る    次へ

■■ 三日目は阪急で宝塚/そして京都のN電 ■■
1954年8月13日(・・・かな?)

翌日、13日だと思うけれど、雨が降った様な気もするし記憶が完全にアウト
当時のアルバムを見ても、この辺がぼやけた記述になってるのですが、まあ、大目に見てください
表題のとおり、西宮は今津の宿舎(兄の下宿)から、宝塚そして、京都に行こうと出発しました


◆兄の下宿を出て阪神国道を西に、のんびり歩けば直ぐに阪急今津線の阪神国道駅です。交叉する阪神の国道線の停留所名は北今津でした。これでは連絡客に不便ではないかと思ったんですが、関西では多いみたいだと何となく納得。
その北今津停留所には国道線36が到着しました。古典的路面スタイルの好ましいデザインです。

 

◆今津線に乗って宝塚まで行きます。同じ阪急でも今津線の小型車の3連は、神戸線のハイスピード感は全く無くてのんびりと駅を数えるみたいに北へ走ります。
◆宝塚につくと宝塚線の610がバリバリの新車の車体を見せてくれました。阪急は珍しい非貫通型でなかなか格好良かったです。たしか旧型車の更新車と後で聞きました。

 

電動客車の改造に思える荷物車も610に並んで私を迎えてくれました。(ひょっとして保存車輌になってる車かな?)
◆駅から出て一寸、梅田寄りに歩き撮影ポイントを探し、格好の場所で一枚。

 

なんとなくローカルっぽい場所に見えますが、宝塚駅からそんなに離れていない筈です。こうやって見ますと300型の3扉、お椀型のベンチレータもチャーミングですね。
◆さて、京都です。今の私なら阪急宝塚線で大阪へ出てそれから京都に向かうと思いますが、当時、私の考えたのは国鉄の福知山線の利用でした。
国鉄の宝塚駅の様子などはまるっきり記憶が欠落。やってきた当時の最新気動車キハ45000の5両編成の大阪行きに乗り込みました。非常にすっきりとしたデザイン、濃い目のブルーにシルバーっぽいクリームの2色の塗分けで当時の私の目に素敵に映ったものです。ずらりと並んだ狭めのクロスシートの背ずり板は低く室内を広く見せております。シートのビニール張りがちょっと惜しかったけれど。

前面の眺めもよろしく最前部にへばりついて田園の中を行く景色を楽しみました。
この信号は何処の場内信号でしょう。中山寺駅でしょうか?

 (後方を見ております)

やがて列車は川西池田駅に入りました。

 

下りの客車列車と交換です。この機関車はC54なんですね。当時は気がつきませんでしたが、部分拡大してみて判明しました。
塚口から東海道本線に合流し、やがて大阪駅着。そのまま、キハ45000は宮原(たぶん・・・)へ回送されて行きました。

 

◆このあと、憧れの阪急デイ100の急行で京都は四条大宮へ向かい、N電とのご対面となりますが、残念ながらデイ100の写真は無いのです。
我ながら当時の私の思考回路が理解できませんね。記録すべきののがさっぱり記録されていないのですね。困ったものです。

◆お昼ご飯くらい何処かで食ったと思うけれど全然記憶に無いんです。今と違って、何を食うかでなくて、何でもいいからオナカが満腹ならOKの世代でしたからね。
◆あの感動的な阪急の梅田のホームにやって来ました。2度目です。

『大阪池田間』のサボを下げた75です。木造・3扉・電動車。なんたって木造車です。嬉しかったですね〜。東京では少なかった木造車ですが何故か関西に来てみれば、そこら中に居まして、大感動でありました。
◆さて、新京阪じゃなくて、阪急の京都線ですけれど、憧れのデイ100も、神戸線ほどのスピード感もなく、前にTMSの記事で読んだ、国鉄の特急燕号と競争して楽勝といわれた、京都行きの新京阪でしたが、山崎・長岡天神と眠ってしまったんですよ。気がつけば既に電車は京都の地下線区間を走っており、やがて当時の終点、四条大宮の駅に到着致しました。

128です。この車のシートはロングシートだったのではないかと思います。クロスシートだったらゼッタイ、覚えてると思います。
◆地上に出たら、京都市電が走ってます。ビューゲル集電ですが、ポールが一本残ってました。番号は350。

『外車』ですね〜。シボレーらしいです。世間を知らなかった私。単車にビックリでした。(家から遠くない横浜に行けば4輪単車なんてうじゃうじゃ居たのに・・・知らないってのはツヨい)
◆さて、その辺のおそば屋さんで『せいろそば』を食って、久しぶりの『うどん圏で食った、ざる蕎麦』でお腹の具合も満足したので、四条通りを東へ歩きます。じきに四条堀川で、古典車体しかも、ここだけ狭軌の通称N電が走っております。堀川と古い家並みをバックに何枚か撮影です。

 

 

この4枚の拡大写真があります

◆さて、N電です。堀川丸太町までN電に乗りました。ピッチングとローリングも賑やかにオープンなデッキの運転士のブレーキ裁き(ハンドブレーキです)、車掌さんのポールさばきもステキな電車でした。

◆そこからは標準軌の市電に乗りまして、河原町丸太町からは歩いて三条京阪へ行きました。三条大橋の上から鴨川なんか眺めたんでしょうね。たぶん。なんにも記憶無いんですが。そして・・・・おおっ!感動の『びわこ』号62です。スライダー式のポールで貫禄充分。

  "びわこ"(左)と"206急行"(下)の拡大写真が2枚

京都市バスは基本的に塗色変わってないみたいですがどうなんでしょう?左の車はなんだろう?ダットサンにしては、お尻が違うような気もしますね。1960年に隣のお姉さんがダットサン800を中古で買ったから、やっぱりダットサンかもしれませんね。

  (京津線のホームと浜大津行き急行206)

◆河原町三条から市電で京都駅まで行きました。京都駅で急行電車を待っていますと東海道本線の上り列車が入ってきました。牽機はC62.ランニングボードの白線が、関東では見かけないのでスゴク新鮮に見えました。

◆急行電車で大阪まで戻り、西宮の兄の下宿は阪神が便利なので、梅田から阪神の急行で戻る事にしました。

甲子園まで急行に乗ります。中間に入った814ですが、阪神電車は、貫通ドアの設計が、やたらと凝っていて、感心します。中央運転台式の801や831、そして、運転台を片側に寄せた851、861、881など、運転台として使用しないときは、運転用機器を起用にカバーしてました。

甲子園から普通電車に乗って二つ目の今津下車、夕暮れの阪神電車を何枚か写して、兄の下宿に帰着しました。

◆さて、おつぎは、神戸から山陽電鉄です。驚いたことに何枚も写してないんですね。高校生時代の私、何を考えてたんだろうね。まったく。


 戻る    次へ