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■■ 第四日は神戸から山陽電車 ■■
1954年8月14〜16日かな?!

この日は何故か撮影枚数が異常に少ない/ど〜したんでしょうか?
原因不明の少なさですが、フィルムがなくなってきたのでセーブした訳でも無さそうだし??です。
素敵な被写体は、ごっちゃまんと有った筈ですので今、考えても惜しい惜しい・・・・。
西宮市は今津から阪神で三ノ宮、市電で兵庫駅前
山陽電車で舞子公園まで行って帰りは国鉄(だったかな?たぶん)


◆旅行の第三日ですが、必ずしも8月14日ではなさそうです。雨降りの記憶もあるし、まあ、1日二日ずれたって大勢に影響ないけれど。
住宅の間に残る田圃の中の道を歩いて今津駅に向かいます。質屋の『ひち』って看板、白っぽい土に関西を感じます。
◆家並みの向こうから阪神電車の、ぴぃぃぽぽぽぉぉ〜と特徴のある警笛の連発が聞こえてきます。騒音問題なんて無かった時代ですから踏み切りの大井地域は、警笛鳴らし放題です。そうそう、阪神の警笛は足踏みペダルでなく、手で操作してましたっけ、コントローラと制動弁の間に床から棒が延びてその先端のポッチを手のひらで押し下げていた記憶がありますが、確かではありません。どなたかご存知ありませんか?
◆プロアトラス2001の近畿版CD-Romで見ますと、今津駅は今は阪神の駅と阪急の駅が道路を挟んで直角になってますが、当時は50Rも無いように思える急カーブで阪急が阪神に寄り添うように並んだ駅でした。線路も繋がっており、へへぇーっ!と思ったものです。
駅前には阪急公設市場ってマーケットがあり、書くと長くなるので書きませんが、東西の食文化の違いをはっきり感じました。いまは、全国平均化現象でそんなに違わないのではないかと思います。一度、確認したいなあ。

◆◆脱線◆◆
→当時、この阪急公設市場で買って食した『うまいか』が食べたい。するめを柔らかくして(またはノシイカ)幅1センチ長さ10センチぐらいに切って衣をつけて揚げてありました。おつまみなどに最適で、当時東京に無く初めて食べて感激するほど旨かったです。
そのご、昭和30年代東京駅大丸の食品売り場で発見し『お!大阪の味だ!』と買ってしまいました。いま、おつまみ等として売ってるのとは全く違う軟らかめのものでした。
こないだ鶴橋(大阪市)の市場に行った時、探したけれど無かったです。
どなたか、ご存知有りませんか??お教えくださると嬉しいです。

閑話休題・・・・
◆少々前置きが長くなりました。その阪神電車です。今津駅の西方に阪神国道って踏み切りがありました。名前がおかしいなあと兄に聞きましたら、阪神を結ぶ旧道の踏み切りなんだそうです。その踏切での阪神881型の写真です。


(905です)

◆今津から各駅停車に乗りまして西宮駅で急行に乗り換えます。西宮駅には、出来たばかりの特急用301が留置され、そのとき開かれていた甲子園の高校野球臨電の『ホームラン号』のサボをつけてました。やがて始まる阪神間ノンストップ25分運転のテストランなんでしょう。


(ナンバーは3021)

◆さて、西宮からは急行です。なにしろ、オール電動車5連の高速運転ですから、早い早い、開け放った前面の窓(阪神は片側運転台で最前部に立つ事が出来た)から猛烈に風邪が入り涼しいものです。小さな駅は駅名も読めないスピードで、踏み潰すみたいな迫力で、通過して行きます。もう私は興奮しっぱなしです。
踏み切りの整備は完璧に感じました。物凄く小さい踏切にも、音だけの警報機がつく丁寧さでした。
踏切警手のいる踏切では、安全確認の白旗が振られ、急行電車の前から見ていると遠くのほうまで、白旗がズラリとでましてうち振られ、壮観でした。夜はこれがぶら下げた合図灯を揺らしていたと記憶します。
◆芦屋川の上の芦屋駅、高架の追い越し御影駅、そして岩屋からは地下線となり、おっそろしく幅の狭い島式ホームの春日野道駅も遠慮なくぶっ飛ばし地下の三宮駅に到着しました。
地上に出ればそごう百貨店。そして、市電はグリーンとベージュのおしゃれな色のスマートな700を始め色々とやって来ます。(一枚も写してないんですよ)。やがて、やって来た兵庫行き(かな??)の712に乗って、山陽電車のターミナル兵庫駅まで参ります。

◆市電700はまさに市街電車の女王に見えました。敬意を表しまして超大型画像です。(架線用の鉄柱もかっこ良いですね)
山陽電車のターミナルはいかにも戦災復興という雰囲気で(そのように記憶しますが写真撮ってないので確証はありません)した。ここから、兄から頂いた今日の分のお小遣いで行ける所まで行こうと、何処行きのどんな運用だったか記録は無いのですが電車に乗りました。イキナリ路面です。長田駅から専用軌道になるのですが、そこで市電と平面交差という念の入れようで驚愕したものです。
何処の追い越し駅かもわかりませんが特急に抜かれました。


(853)

◆途中経過の記憶も全く無いまま、舞子公園に着きました。ここで下車。特徴ある各駅停車運用の200がやって来ました。変なの〜と思ったんですが、今じっくり見直してみると悪くないですね。

◆舞子公園駅と国鉄の舞子駅とは近かったので、帰りは国電利用です。全く記憶も記録も無いままに西宮駅に戻りました。

入替用の超小型機関車もいて背景の住宅はクラシック、今の西宮駅周辺はどんな具合なんでしょうか。やって来た急電は80系でなく3扉車で構成されてましたが、これもまた良いものです。

ここから、兄の下宿に戻ったはずですが、歩いたのか、阪神国道線だったか忘れちゃった。

◆この日、これでお仕舞いで、次の日の関西電車探検記は、大阪市電と南海電車上町線です。


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