■■ 伊予鉄道1958.8.21 ■■
(更新:1999年10月5日)

 ホームページ初期の作成なのでスキャンデータを保存していないのです
そして、年月は流れ、フィルムは残留酢酸の所為なのかわかりませんが
大カーリング・・・・手帳鉛筆状態
そんな訳で、小さい画像でゴメンナサイ!!
(2009年7月)

 1958年8月21日、朝の国鉄高知駅前を発った国鉄バスで松山につきました。昼頃だった記憶が有ります。どう云う経路で伊予鉄道の松山市駅に行ったのか殆ど覚えていないのですが、多分、同じ伊予鉄の市内・路面電車だったと思います。うろ覚えで、お城の濠とか、鉄道線との平面交叉、道後温泉、公園の保存蒸気機関車を覚えています。
 まあ、とにかく松山市駅に着いて中に入りました。非電化路線があることは聞いていたのですが、当時は地元以外の鉄道の情報はなかなか入手できず現場に行ってビックリのケースが多かったのです。ここ、伊予鉄の非電化路線もその一つでした。松山市駅から、横河原とか、森松とかへ行っていました。
 2軸のディーゼル機関車が木造のボギー客車を引いています。留置してある車の中には2軸単車、木造、しかもオープンデッキも有るという、オドロキの連続でした。
 あんまり吃驚したせいか、電車の写真もろくすっぽ撮っていません。鉄道線の電車なんか一枚も無いのです。いま考えると、もったいない限りです

:B形のロッド駆動式のディーゼル機関車が木造ボギー客車を引いていました。右のホームが非電化路線用で、左の電車用のホームよりも高さが低いのです。

:荷物合造の客車も有りました。

:単車も沢山有って、それがオープンデッキときては大興奮状態になってしまいました。例の「坊ちゃん」の客車で有るわけは無く、1,067o軌間のちゃんとした車体に思えました。

:左の単車のデッキのハンドレールは、やったら豪華で、なにか由緒有る車と思われるのですが、良く解らない。

:留置線風景。2軸の合造車もありました。

:「ヨ」です。でもどう見ても「ワフ」です。車掌さんは、妻面のドアから出入りするのでしょうか。

:次の駅まで、一駅だけ往復しました。

:そして、驚いた事に、連結器がコレでした。バッファが真中に一つしかない方式は、当時、日本ではここだけではないかと…。

 その日は、色々有って、直ぐに高知に戻りました。バスで高知〜松山間を日帰りしたなんて、いまじゃあ考えられないです。若かったんだなあ。


 50年近くお付き合い下さっている鉄道友達の「はーさん」が
1965年・昭和40年に松山を旅したときの伊予鉄旅行記を
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伊予鉄道の
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