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■■ 1954年3月 ■■

この8枚の写真は1954年3月と書かれたネガファイルに入っています
かなり広い範囲で写してるし、天候も晴れだったり曇りだったりしてるんで、何日かに分けての撮影かもしれません
撮影メモの重要性を痛感します


 
ここは永富という名の踏切で、品鶴線が東急の池上線をくぐり、目蒲線をオーバークロスする中間くらいの場所です
警報機すらなかったのです
道路と平行して小川といえば聞こえはいいが家庭排水が流れている溝がありました
まあ、このあたりが私のホームグラウンドでした
(左)D511105/(右)C58です

 
(左)D52231/永富踏切
(右)東急池上線御嶽山駅付近の掘割を走るD51


東急の御嶽山のアンダークロスから品川寄り歩いて15分くらいのところに
保線関係の官舎がありました
いまこの左の方に雪谷高校があります
上りの貨物をD51が引いて通過して行きました


上の写真のそばに踏み切りがありました
御覧の通り昭和29年には警報機も遮断機もなかったのです
美しいD52が管臨貨物列車を引いて通過します
この子は鉄道が好きになったかなあ?



同じフィルムに写ってますが、上とは明らかに日が違います
D52423の引く下り列車です
右上の学校は都立田園調布高校
右の側線は三菱重工への引込み線です
いまでも、何となくこの頃の面影があります


上りの冷蔵車列車、牽引機はD51
冷蔵車のサイドには英語で『空車の時には東横浜駅に帰すこと』なんて意味の事が書いてありました


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