■■ 1954年4月の東急玉川線/二子玉川界隈 ■■
2002.1.5制作
2009.11.23/加筆訂正・画像大型化
1954年4月といえば高校の1年から2年になる春休みの事です
浜松の親戚を訪ねたついでに遠州鉄道に乗ってきた私は
二子玉川まで玉電を写しに行きました
多分自転車に乗って行ったんだと思います
東急大井町線は当時は単線の併用軌道で二子橋を渡り
玉電もデハ80が出てそんなに経っていません
デハ30とかデハ40などリベットも賑やかな角張った電車も居りました
では、画像を御覧下さい
当時の玉電の塗色は、濃い目のグリーンに、クリーム色でした
。
その後、一部、赤くなったりしたあと、
割に長く使われた草色塗装になりました。
私は、
この写真の頃の色が好きでしたね。
(左)瀬田の電停近く二子玉川に坂を下って行くデハ64(方向板が渋谷になっている)
(右)坂を登ってきた渋谷行きデハ65
二子玉川から瀬田に向かっての築堤を上るデハ64(右下は田圃!!!)
二子玉川駅に到着したデハ107
パンタも格好よく、実によろしいデザインです
当時は所要時間28分・・・・こんな事は覚えてるんですが、他の事は忘れて居ります
同じく、二子玉川駅でデハ37
玉電の無蓋車(左は「4」、右は「3」のナンバーが読み取れます)
大井町線側に居た無蓋車3086と3065・・・・玉電じゃないけど、ま、いっか?!
以下の写真は、上の何日かあとになります
。
砧線を撮りに行きました。足は矢張り自転車だったと思います。家から二子玉川までの距離は6km程度ですから、たいした事はありません。
二子玉川行の
デハ32が、野川の橋梁を渡って、吉沢の電停に入ってきます
デハ30形は、単線の砧線にはピッタリのスタイルです
鉄橋の下では釣りをする人が・・・・・・
「此処は何処でしょう?」って、今の若い方たちに聞いたら
判らないでしょうね
二子玉川〜瀬田の上り坂なのです
1954年頃の二子玉川周辺には、こんな田舎風景も残っていたのです
上の写真の電車の部分を拡大しました
電車はデハ80形です
中耕地からの電車が二子玉川に
入ってくるところです
警報機だけで遮断機の無い踏切は、国道246でしょう
右端に東急バスが写っています
電車は、
さっきと同じデハ32
玉川線の電車・・・・デハ86?が坂を下ってきました
築堤の桜はどうやら咲いてる様にみえますね
ネガには電車の手前に踏切が写っていますが、画面サイズの関係でトリミングしました
これはオマケです
。私は、どうやら、玉電の撮影ついでに「二子玉川園」を覗いています。入場したのではなく、多摩川側の塀の外からの撮影と思われますが、例によって記憶はあやふやです。「二子玉川園のこども列車
」
・・・・・機関車、片ボギーですね。
手前のレールには中央にサードレールというか、電源用の電線(多摩川園にある列車は、ホンモノの電車の架線利用でしたが)がありません。機関車の床下にはプロペラシャフトらしきものも見え、多分、ガソリンエンジン駆動だったのでしょう。
客車の台車もなんだか面白い格好ですが、ブレててよくわかりません。