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■■ 中央東線1963年11月23日 ■■

昭和38年11月23日は土曜日で勤労感謝の日
確かTVの宇宙中継の有った日/米国のJ.F.ケネディ大統領の暗殺された日
そのTV放送を見て家を出たようですが、その辺は、はっきりしないんです
なんたって、38年も前のおはなしです
11月22日にケネディ大統領の事件が有った筈なので
米国と日本の日付と時刻関係がどうなってたか、考え出すと訳が判らなくなってしまいした

そんな、お天気の良い日の早朝
未だ甲府までしか電化されていない、しかも単線の中央東線に出かけました
持って行ったカメラはミノルタAL(ロッコール45ミリF2つきのレンズシャッターカメラ)とミノルタセミP
フィルムは発売されたばかりのフジカラーN64という初めてのオレンジベースのネガカラーでした
この時のフィルムは如何いうわけかあまり退色も無く
フォトショップで一寸いじるだけで、まずまずの色が再現できました

 私が横浜市の六角橋という市電の終点のあたりから、町田市に引っ越してきた年の秋のことでした。中央本線はまだ、殆どが単線で、しかも電化区間は甲府まで、特急は無く、急行はキハ58(確か新宿から上諏訪まで4時間位掛かった)、各停は茶色の客車を新宿からEF13が引いておりました。
 その、非電化区間の小淵沢駅あたりに、列車を撮りに行こうと、5万分の1の地形図を調べたり、丸の内の国鉄本社に中央線のダイヤを調べに行ったりして、準備をしておりました。
 とは、云っても、当時は現場の下調べも出来ず、まあ、小淵沢辺りならと、いい加減な見当をつけて、出かけたわけです。

 これまた、単線だった横浜線で八王子に行きまして、急行のアルプス号に乗ったのです。時刻、列車愛称みんな忘れてしまいましたが、甲府駅で食べた幕の内弁当の焼き魚が、やったら美味かった記憶はあります。その、甲府駅。C12が入替えをしておりました。当時の気動車は後部標識を出しておりました。これまた、いいですね〜。(キハ58470)

 甲府からは非電化で、韮崎を過ぎる線路は上り坂に掛かります。そう言えば、中央線には沢山のスイッチバック駅がありました。最初が初狩駅、次が笹子、笹子トンネルを抜け一寸行くと、勝沼駅。ここは、今でも確か、引き上げ線の築堤が残ってる筈です。そして韮崎もスイッチバックでした。列車はどんどん登って、これまたスイッチバックの長坂駅を過ぎました。窓から、撮影にいい場所はないかと眼を凝らしました。小淵沢との中間辺りで、良さそうな場所を見つけ、思い切って、小淵沢で降りてしまいました。
 駅前には、何処行きか全然覚えていませんがバスが待っていて、それに乗るとすぐに発車。乗客のオバサンに聞いたりして、ここぞと思った停留所で下車しました。左手の斜面の細い道を登って行きますと、線路に出ました。勿論単線。柵も無い雑木林と畑の中を、一本の線路が伸びておりました。

 ここから長坂駅まで線路に沿って歩きながら、やって来る気動車急行、D51やDF50の引く客車の各停、そして、貨物列車を撮影したのでした。単線の切り通しには、赤レンガのちいさなトンネルがあったりして、上が水路になってたりしました。いまでは、複線化工事で一つも残ってませんが、いい添景でした。(今回の写真には無いのですが)
 この赤レンガの水路橋は、辰野を回る線には未だ残ってたような気もしますが・・・。


下り急行アルプス(キハ58418)


下り急行アルプス
尾灯の赤がいいですね〜


上りの急行アルプスです
バックの山なみ、枯れたすすきが素敵です


上りの各停客車列車
D51が引いておりました
通信線の電柱がいい感じです


下り各停はDF50の重連でした
私は朱とグレーの塗り分けよりも、茶色一色の方が好き


上りの貨物列車は何と三重連でした
先頭のD51はD51412
三両目のD51はバック運転ですから多分回送かも知れません


下りの貨物列車の牽機はD51155
赤レンガの水路橋トンネルを抜けてやってきました
防煙装置付き独特の音で・・・
切り通しの上の唐松、青空、雲、そしてススキ


この貨物列車は短くて
なんだか深山を行くローカル線みたいでした
この辺りで、ホップの栽培されているのを見かけました


切り通しを下りのアルプスがやってきます


下りの各停
D51321が引いています


水路橋上の私の足元をゆっくりと抜けて行きました


上りのアルプスを撮った所で
フィルムが無くなってしまいました

そういうわけで、今回はこれまでです
このあとはミノルタセミPでの白黒フィルムでの撮影になるのですが
スキャナが無いのでご覧いただけないのですよ
主として、長坂駅辺りで撮ってますが・・・・

そのうちにお目に掛けられると思うのですが、果たして何時になることでしょうか?

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