■■ 国鉄 蒸気機関車 形式2120 ■■
1954年2月&1959年1月
私は、昭和28年高等学校に通い始めたのですが、毎月、通学コースを代えて通学しておりました。山手線の五反田〜新橋のコースとか、蒲田〜新橋のコースを使っていた時は、山手線・京浜東北線か、東海道本線の御殿場発の各停客車列車の車窓から、汐留の構内で入替えに励む、蒸気機関車・2120の姿を見ておりました。
2120は良くまとまったスタイルの車輪配列C−1のタンク機関車で、東京周辺では昭和30年代初頭まで、そこここで見かけることが出来ました。
臼井茂信氏の著作『国鉄蒸気機関車小史』(昭和31年6月・鉄道図書刊行会)に依りますと、おそらくはR.F.トレヴィシックの設計だそうで、殆どが1900年ごろの英国製、総数は268両もありました。鉄道作業局の形式を『B6』と呼び、通称にも使われていたようです。スチブンソン式弁装置なので、外側に弁関係の装置が無く、実にスッキリした足まわりでした。 同書によれば、昭和30年ごろでも150両ほどが生き残っていたとの事です。
さて、昭和29年の2月、学校にカメラを持って行ったある日、帰り道、寄り道をして、品川の機関区(というのかな?)によりました。簡単に中に入れた時代でしたので、一応事務所に断って構内撮影の許可をとって撮影したのが、下の二枚です。
空気関係の設備がつき、連結器も替わってますが
製造当時の端正な姿が窺われます
重連のバック運転で貨物列車を引く姿を想像して見てください
素敵だったですよ!!
前照灯が有りませんが、入替用だからでしょうか?
大好きだった2120はその後も、しょっちゅう見かけておりました
何時でも撮れる、こんなに沢山居る、まだまだ大丈夫
なんて、云ってたのですが
気が付いてみると、汐留の入替えはDD13になってゆきました
私が大学に入って、昭和34年の1月
国電の車中から品川の客車区の外れに、4両の機関車が置かれていました
どう見ても、廃車
あわてて、カメラを持って撮影に行きました
何処で許可を受けたか忘れましたが、ともかく撮影許可をとって、機関車留置の場所に行きました。可愛い『B6』たちは、疲れた身体を休ませているように見えました。60年も働いてきたんですもの、無理もありません。後進に道を譲って、退場していったのです。残念だし、惜しい、でも仕方ないなあとも思ったのです。
うしろ姿はやっぱり寂しい
一番手前が2309
2309のうしろ姿
石炭庫の上端のカーブがいいですね
2309、右側側面
前照灯、電灯用タービン発電機、空気ブレーキ関係の配管・タンクを取り除き
キャブの窓ガラス、ひさしも外し
連結器をバッファリンク式にすれば
オリジナルに近くなるかなあ
砂箱と蒸気溜めの姿が違うのも又よろしい
動輪のスポークとカウンターウエイトも格好良いですね
同じ2309の左側面です
お休み中のB6群を上と反対側から見る
2121です
銘板です
オリジナルのメーカーズプレートでなく
あとで取り付けたような
明治38年ノースブリティッシュ
もっと、もっと撮っておけばよかったと思っても、後の祭
みなさま!好きな車両は無理しても沢山写して置きましょうね!
私みたいに後悔しないで済みますよ
そして、撮影メモもお忘れなく