前ページへ      目次ページに戻る

1956年7月
■■
 京阪神電車めぐり〜東海地方の私鉄をちょっとだけ ■■

フィルム上の写真は高知のシーンは終わり、東京に帰ることになったようです

で、写真は神戸の親戚の方たちになります
帰り道、母はそのまま東京へ帰り、私は途中下車したらしいんです

この親戚にはその後何回かお世話になりました
電車乗りに出かけるとき、お弁当を持たせてくれたりして
とっても親切で感動しましたっけ・・・・・

その家は神戸市の長田の山の方にありました
昼間の眼下に広がる街の景色もよかったけれど、夜はもっとよかった
遠くに山陽本線の列車の明かりが見えて素晴らしかったんですよ


その長田の親戚の家から関西電車めぐりに出発です
当時は、長田から神戸の中心部に出るのには、市電、山陽電車もあったけれど
早かったのは、市バスの『急行バス』
普通の市バスとは塗装も違い、確か濃緑と白だったかな?
ま、それは良いとして、急行バスで都心に出た
私は当時、阪神のファンだったから多分、阪神電車の特急で大阪は梅田まで行ったのでしょう

そして、多分、大阪市電(当時の路面電車は速かった)で上本町まで行ったようです

上本町から奈良まで近鉄の奈良線です
恐らくはモ800の特急に乗ったのかなあ
でも写真とってないとこみると、モ600の急行だったかもしれない
【左】は上本町駅でモ461、鋼体化された車体が格好良かった
【右】は、奈良駅ですね/次の駅まで路面を走ってた頃です
 

京都に向かいます/新田辺の車庫です
1200(当時たしか2両有った)が居るということは乗ったのは特急じゃなかったのかな?
【左】はデハボ1201【右】は電動貨車群(左の2両は仮台車)
 

さあ!又、判らない
写真はイキナリ、京阪の疏水べりです
丹波橋で乗り換えたのか、三條直通の急行だったのか
京阪の七条で特急に乗り換えてますね
乗ってる電車は間違いなく京阪の1800ですもんね
【左】特急天満橋行きの1800型、【右】急行天満橋ゆきの1000形
 

天満橋から難波に行ってます
市電を乗り継いだのか市電+地下鉄だったのか、ぜ〜んぜん記憶なし
11000に乗りたかったんでしょうね
たしか、堺まで乗ったようです
なんだか芸術ぶった写真だけで、マトモな11000が無いんです
この、小窓の並んだオール転換クロスシートの電車は素晴らしかったなあ
淡いグリーンに濃い緑の帯だったかな?

今、悔やんでも仕方ないけれど
あっちの方に沢山並んでる南海タイプの電車を全く撮ってないなんて
信じられない
あんまり写真撮ってると旅の印象が薄くなるな〜んて
思ってたんでしょうね、当時は・・・・

もう、神戸の【基地】に戻るために阪急電車に乗ってます
当時のことだから特急の920系だったことでしょう
梅田を出て京都行きの特急710系クロスシート車と併走しました
たった2両の短い編成で
丸い特急のプレートを二枚つけた姿は、それはそれは素晴らしいものでした

 
【左】上の写真の部分伸ばし/顎の長い自動連結器も独特でした
【右】西宮北口の平面クロス/向こうに見える宝塚行きの電車は500です

二晩お世話になったのか、三泊したのかも判らないんですが
これで、関西電車めぐりの写真は終わっております


で、東京に帰ることになりました
神戸からだったか、三宮だったかわからないけれど
上りの各駅停車に乗ってます
勿論、蒸機牽引の普通列車だ
当時の私が急行に乗るなんて考えられない
お金が無くって、暇の有った大学生だったからね

大阪駅を出た汽車は阪急電車をオーバークロス
当時は阪急の梅田駅は東海道本線の南側にあったんです
道路にある路面電車の線路は確か廃止された阪急のものでした
北野線って云ったかな??
左下のダットサン(たぶん・・・)がいいね

京都駅では待避のため長時間停車
D521の引く貨物列車にも抜かれた
まだ未電化だった東海道も、電化工事が始まり
ビームと碍子が見えますね

追い抜かれたのは
特急つばめ
小窓のならんだ三等車、スハニ35、スハ44
特別二等車なんてのが付いてた
それに、食堂車に展望車
同じ編成の『はと』に一度乗ったけれど、素晴らしい列車だったなあ


名古屋で途中下車しましてね
大学のアマチュア無線クラブの先輩のお宅に一泊してます
名鉄の電車もちょっと乗り、テレビ塔観光もしてますが
電車の写真は皆無!m( _ _ )m

で、東京に帰るんですが
乗った列車はわからないんですよ
急行だったのかなあ?大きな窓の客車ですね/オハ35だったら各停だけど
まあ、いいや!
列車は豊橋に到着します
タイミングよく名鉄の岐阜行き特急とすれ違う
電車は新鋭5000形
国鉄飯田線のクハニ67も見えますね

浜松の遠州鉄道かな?(社標が遠鉄っぽい)
たぶん馬込駅と思うんですが、二軸の荷電というか電動貨車ですね
モワ201と読めます

清水を過ぎ静岡鉄道の清水市内線と平行します
市内線というより郊外電車
駅の名前は判りません
いまは、廃止された線区ですが、当時は元気でした
左は港橋行きのbU3、右は横砂行きのbU0
 

ここで、フィルムは終わりました
旅も終りになったようです


これで、1956年(昭和32年)夏7月の旅の写真はお仕舞いです
ろくなショットも無く申し訳なかったです
またまた、撮影メモの必要性を痛感してしまった

みなさ〜ん!メモをとっときましょうね〜!

ご退屈さまでした・・・・・( ^ ^ )


 前ページへ      目次ページに戻る