■■ 1960年3月 東海道本線各駅停車(第二巻) ■■
辻 堂 駅 〜 根府川 駅
東京駅発5時56分の大阪行き各駅停車123列車の旅
今回は、辻堂から根府川までです
2001年9月9日:記
2001年9月16日、駅々の時刻、すれ違い列車など、加筆・訂正
2007年6月、写真を大型化
このページでは、東京駅5時56分発、各停客車列車、大阪行き123列車で、辻堂から根府川までをご案内致します。
辻堂駅6時59分。跨線橋の「つじどう」の文字。この位置に書かれた駅名は定番でした。いま、懐かしく思い出されます。
茅ヶ崎駅7時05分。上り電車は平塚発東京行です。このノーシル・ノーヘッダーの湘南電車は好きだったなあ!
平塚駅7時13分。通勤時間帯なので駅毎に上りとすれ違います。この電車は沼津発824電車7時13分発。
123列車は更に西に進みます・・・・・・・・・・。平塚を出て、大磯駅に到着しました。発車は7時18分。すれ違いの上り電車は、小田原発東京行828電車7時18分発です。
二宮駅は7時25分発になります
上り電車は島田発東京行832電車7時26分発
国府津駅です。大昔の東海道本線、いまの御殿場線の分岐駅。発車は7時32分です。当時はまだ、扇形庫もあって、D52が沢山居ましたっけ・・・でも、今回は写真、撮ってません。
鴨宮駅です。前に書いた岩波写真文庫『汽車の窓から』に、鴨宮は、物指の産地と書いてあったなあ。もちろん伝統産業なんですから竹製ですね。いまでも、造ってるんだろうか・・・・。そして、新幹線建設のときには、最初の車両基地になりました。後に基地見学に行って、試験用車両に接し、感動した事もありました。123列車の発車は7時37分。
さあ、7時41分、小田原駅に到着です。上りのホームには通勤客が大勢並んでおります。右に見える小田急のホームも、今の姿を想像できないたたずまいです。
小田急側では「〒マーク」も誇らしげにデユニ1002が入換中
小さな体にでっかいパンタ、床下機器いっぱいの可愛い電車でした
駿豆鉄道・・・・今の伊豆箱根、大雄山線の電車(拡大するとナンバーは30番台に読めるけれど、ボケてる)と、クハ153が居ますね〜、1958年(昭和33年)のデビューですから、まだ2年しか経っていません。
今では橋上駅となってますが・・・・・国鉄小田原駅の下りホーム。私の乗った、大阪行き普通列車123列車は7時43分発車です。
東京駅発5時56分の大阪行123列車・・・・客車列車・牽機はたぶんEF58・・・・の一番後の車両、スハフ32のダブルルーフ車に乗っています。小田原を7時43分に発車しました。
早川駅7時48分
いまは、駅前が漁港になっています。当時は如何だったのでしょう?
昭和40年代後半以降に、何度も釣り(港内と舟)に来て、お馴染みになった駅
昭和35年当時は降りた事もありませんでした
早川を出て海を見ながら走る区間は子供の頃から好きで、私にとって東海道本線の大イベントでした。このころ、真鶴道路の建設工事をやっていたようで殆ど出来あがっております。・・・・と、今まで思ってましたが、調べたら前年、昭和34年9月の開通とあった。この区間は如何だったのでしょうね?
根府川駅7時55分。
撮影名所の鉄橋を渡る。白糸川って地図には書いてあります。今の様な柵もなくすっきりしています。右下の真鶴道路、開通している様には見えないのですが、如何なのかなあ?とちょっと気になる。
根府川〜真鶴間には窓のあるトンネルがありました。赤沢隧道って言ったかな?目がチラチラしてザッザッと風切り音がして好きでしたね。
そのトンネルを抜けたところです。このトンネルの窓のある壁は、海から見ても目立ち、大人になって昭和40年代後半から50年代にかけて釣りに狂っていた頃、早川港から釣り舟に乗ると、よく見えましたっけ。
このトンネルのある区間は、崩落が多いらしく現在では新しくトンネルを掘って、通らなくなりました。しかし、『窓のある 、列車の走らないトンネル』は未だ残っているはずです。
6時56分東京発大阪行き各停客車列車123列車の旅
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