■■ 1960年3月 東海道本線各駅停車(第六巻) ■■
藤 枝 駅 〜 袋 井 駅
東京駅発8時20分に出てきた京都行き各駅停車125列車に乗って
藤枝駅から袋井駅までをご案内致します
各駅停車の旅の終りは、静岡鉄道駿遠線と秋葉線が待っています
2001年9月9日:記
2001年9月16日、駅々の時刻、すれ違い列車など、加筆・訂正
2007年6月、写真を大型化
駿遠線も見たし、次の目的地、袋井まで行きます。藤枝駅から乗った
、「東京駅発8時20分の京都行き125列車は客車列車」です。藤枝駅13時09分発。
国鉄藤枝駅の下りホームで列車を待っていると、面白い施設がありました
京都行き125列車は藤枝駅を後にします
藤枝〜島田間の線路風景
島田駅に着きました。13時18分に発車です。ホームの時計を見ると定時運行していたようです。 お出かけのご婦人は、着物姿が普通の時代でした。
・・・・・これから列車は大井川を渡り、金谷駅に至ります(大井川の写真は無いんですが)。
東京駅発8時20分の京都行き125列車、勿論、客車列車。島田駅を定刻に出て西に向かいます。大井川を渡り、牧の原台地の北の裾を、大きくカーブしながら走る東海道本線に大井川鉄道の単線の線路が近づき金谷駅。
急行貨物とすれ違います
オレンジ帯の急行用の貨車の列/ワキ1000、ワム90000
懐かしい形の家々・南アルプスへの入り口の標識
・・・・・・金谷駅13時26分発、直ぐにトンネル
昔は堀の内という駅名だった菊川駅は13時44分
菊川〜掛川間
お茶の栽培されている丘陵地を左右にカーブしながら走る
掛川駅13時53分
台車に山積の竹箒は、この辺の名産だったのでしょうか・・・・
掛川〜袋井間
小笠郡は、お茶の産地
いよいよ、この旅の最終目的地、袋井に列車は近づいて行きます。静岡鉄道駿遠線の西の国鉄連絡駅。遠州森町に至る路面電車、静岡鉄道秋葉線も出ておりました。13時09分に藤枝から乗った客車列車、東京駅発8時20分の京都行き125列車。いよいよ最終目的地の袋井駅に到着です。14時03分。藤枝駅から37.8kmです。東京からだと、238.1kmですから、京都までの半分は来ていません。昔々大昔の東海道五十三次では、袋井の宿が全工程の中間地点と聞いた事があります。ルートも違うので、そんなものかなあと思う。
袋井駅に到着。停まった列車の窓から、目の下に静岡鉄道駿遠線のターンテーブルが見える。可愛い超軽量級。画面左側には新藤枝からのキロポスト。『60粁786米81』と細かくこだわって居ます。
京都行き125列車が、袋井駅を発車して行きます。最後尾の車はオハフ33でしょうか・・・・。左側に駿遠線の客車が見えています。私は、もう嬉しくって仕方がありません。
袋井駅の乗換え案内。秋葉線を『あきわせん』って読むとは知りませんでした。とうとう、袋井まで来てしまいました。途中の藤枝での寄り道を含めて、8時間ほど掛かっております。
静岡鉄道駿遠線と秋葉線が私を待って
います。国鉄ホームのお隣に並ぶ駿遠線のホームには気動車が客車を一両引いて、発車時刻を待っています。
駿遠線の気動車キハD5、前後に荷物デッキをつけた可愛らしいクルマです
清掃係の小母さんが優しく窓を拭く
跨線橋を渡って駅前に出ました。広場を挟んで、静鉄秋葉線のターミナル
:新袋井駅がありました。左側の大看板は『奉祝 皇孫殿下御誕生 東京猛獣サーカス特別公演』とあります。静鉄の職員さんの制服は詰襟に護謨長スタイル。
一寸だけ、街を行く秋葉線の電車を写したりしました
東海道本線各駅停車の旅、今回の旅はこれでお仕舞いです。静岡鉄道駿遠線の袋井駅と袋井工場で車両を写し、何故か乗らずに、帰ることにしました。たしか、静岡駅で降りて、静岡鉄道の新静岡駅まで行き、すこしは電車を写した様です。さらに、静岡鉄道の本社にも立ち寄って、手紙で親切にいろいろお教え下さった静鉄社員のかたにお礼を申し上げたかったようです。なにしろ47年も昔のことゆえ、記憶はぼやけています。
袋井駅を後にする時に写したのでしょう
東海道本線の袋井駅ホームでのショット/右側が駿遠線ホームです
跨線橋の大きさが違いますね
東海道本線各駅停車の旅・1960年(昭和35年)
ながながと書いてきましたが、一駅一枚でその駅を写そうなんて、大それた事に手をつけて
結局は表現し切れなかった、む〜さんでありました
今から47年も前、遠い昔のお話です
昔の割には、そのときの状況を覚えているなあと思ったり致します
東海道本線から各停長距離の客車列車が消え
各停はローカル運転の電車になってしまい、輸送の形態も大幅に変わりました
ご覧くださいまして有難う御座いました
(2007年・平成19年6月25日)