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■■ 東武鉄道日光軌道線1961年 ■■
1961(昭和36)年5月14日

昭和36年(1961年)の5月13日(土曜日)、社会人二年生の私の通っていた会社の社員旅行がありました
行き先は鬼怒川温泉、当時は高速道路なんて無かったので、電車で行くのです
当然東武電車ってわけで、かなり嬉しかったのです
東武といえば浅草/浅草駅集合で、鬼怒川温泉ゆきの快速電車で出かけました

  

乗った車輌は最前部のクハ341
当然、座りもせずに運転台の後ろで前方を眺め、同僚に奇人扱いされてました(^^)
(なお左端の写真が浅草行きなのは鬼怒川温泉で折り返しになった所為です)


 さて、鬼怒川に着いてから、どこかに観光に行ったと思うんですが、よくわからない。鉄道大好きの私一人だけで、当時、終点だった新藤原駅まで往復した事だけ覚えております。

 明けて14日の日曜日は、中禅寺湖&東照宮観光です。そこで、私は、総務課長さんにお願いしたもんです。素敵な路面電車があるので、それに乗りたいと・・・・・・・・課長さん、良いヒトで許可してくれた。
 そうして、華厳の滝、中禅寺湖、観光の後東武の日光軌道線の終点、馬返駅前で観光バスから降ろして貰いました。東照宮で合流するってお約束です。

 ここから、私の、東武日光軌道線見物の始まりです。なんたって、41年も前のお話です。覚えてるって方がおかしい。かなり、てきと〜&いい加減な処はお許しください。でも、写真はホンモノですから・・・・・・・。
 いや全く撮影データ、せめて日付、場所、車輌番号くらいは控えておかなきゃあいけません。と、今ごろ反省しても遅い。若い鉄道ファンのみなさん、メモはとって置きましょう!
 なお、撮影したカメラは、ハーフ判のオリンパスペン。他にもセミ判カメラも持ってゆきましたが、今回はオリンパスペンで撮ったものだけです。


 さて、馬返駅です。ここからケーブルカーで明智平まで登り、華厳の滝を見物して、中禅寺湖見物ってのが定食コースだったようです。それが、バスの大型化、高性能化で、当時はもう、一つしかなかった『いろは坂』をバスで行くコースが普通になっていたようです。東武電車か、国鉄の宇都宮から日光線で日光に至り、電車・ケーブルカーなんてコースよりも、日光駅から直接バスで行った方が便利なのは明らかです。ゼッタイ電車に乗る!なんてヒトは少数派って感じになっていたみたいです。

 国鉄の日光駅前から、東武の日光駅を通り、東照宮の前を通り、古河電工の工場のある清滝を経由し、馬返駅までの東武鉄道日光軌道線は、路線延長10.6km、単線の電化路線。専用軌道と併用軌道が混在し、とてもステキ。おまけに、古河電工からの貨物列車まであるというファンサービス?も最高な路線です。
 この路線は、大勝0年8月鉄道省刊行の『日本鉄道史』の大正8年度『開業軌道』という表に載っている、日光電気軌道/明治43年8月10日開業、全長6マイル7チェーン、軌間3’6”というのが、この路線らしいです。廃止されたのは、昭和43年2月25日(これは少々あやしい・・・数日の誤差あり)。

 で、馬返駅。坂の途中にある駅でした。改札を通ると階段を下ってホームに下りる。線路もカバーする大きな屋根付きで観光地にぴったりです。

 
ホームの屋根に付けられた看板の文字をアップすると、こんな文字が・・・・・・


ホームには連接車200と、普通の四輪ボギーの100が入っています

形式は、たぶんモハ100、モハ200と思いますが、確認してないので何となくぼかして書きます(^^)

 
反対側のホームには100が到着
私は100+200の日光行きに乗ったと思います

 
電車は道路わきに境界も無く敷設された専用軌道を走ります
この電車は107の筈なんですが、窓の開き具合が下の写真と違う・・・・・・ああ、わからん!

 電車は清滝駅に到着。ここは古河電工の工場があり、貨物扱いもあるらしく、側線も多い。でも、写真を見るとホームは一本しかないのです。おまけに写真を見ると、107は後ろの200を切り離して行ってしまった様にも見える。
 この辺の記憶、全く欠落・・・・・結局、よく分からない

 
(左)100+200の編成/(右)200


電車が行ってしまった清滝駅の構内です/向こうが馬返方面

 ここから、日光方面に向けて歩き出しました。線路は立派な舗装道路の脇を走ったり、裏通りの砂利道を通ったりします。

 
線路の真ん中には、どういう使い道か、電線が走っている(マイナス側の帰線でしょうか?)

 
(上の二枚の写真の拡大画像です)

 
(この二枚の拡大画像)

 いくつの駅、何キロ歩いたでしょうか(完全に忘れてますが)・・・・・、車庫のある所まで来ました。電車車庫前という停留所だったかもしれません。そして、たぶん事務所に行って許可を取って中に入り、車庫の中を歩き回って写真を撮っています。車庫の中の詳細は、下のアイコンか日光車輌区の写真をクリックしてください。車庫のアルバムです。


 さて、車庫の見学も終り、そこから電車に乗って、東照宮に向かいました。電車は、併用軌道をのんびり走って行きます。


いい雰囲気ですね〜


とある停留所で、列車交換


こんな所も通って・・・・・

 東照宮も近い停留所で下車しました。停留所の名前も忘れてしまったのですが、神橋だったかもしれません。橋の下まで降りて橋梁を行く電車を撮ろうというのです。が、失敗。しかも、ここでフィルムがお仕舞いになってしまいました。ありゃりゃりゃ・・・・・・・。

 東照宮では、無事に、会社の人たちとも合流できました。・・・・って所で、このアルバムも終りです。

 昭和43年、この線区が廃止された後、使われなくなった電車100型(モハ100?)は、岡山市の岡山電軌に3000型として、第二の働き場所を得ました。先年、岡山電軌を訪ねましたら、東山の車庫の一番奥で、三両の3000型は、1両は動きそうでしたが、残りの2両は多分もう動く事は無さそうな格好で休んでおりました。確認はしませんでしたが・・・・・・。

 三枚の3000型(東武100)の画像は、此処 をクリックして下されば、御覧になれます。

 実は、セミ判のカメラ、ミノルタセミPも持って行ったので、ブローニーフィルムでの記録も結構ある筈なのです。東照宮のあたりで電気機関車の引く貨物列車も撮影したような気もする。でも、行方不明。有ったとしても、スキャナが無いのです。ごめんなさい!


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