■■ 東京近郊の小さな旅1956年4月10日 ■■
 川越線・八高線・相模線 

 昭和31年1956年と云えば私が高校を出て大学に入った年、4月10日は、もう出来立てほやほやの大学生だったわけです。ひょっとしたら、未だ入学式前だったかもしれません。忘れてしまった! 当時、東京都の大田区に住んでいた私は、経路は忘れてしまったけれど、ともかく大宮にやってきました。

 川越線は単線非電化で気動車がデカイ顔をしていました。キハ42600とかキハ44500とか居て、確か、まだキハ45000は入っていなかった記憶がちょっぴり有ります。(この辺りの、形式称号などかなり不確実)
 川越を過ぎ、高麗川駅、ここで東飯能行きだった列車を見送って、八高線の列車を待ち、C58が牽引するオハ61で固めた客車列車で、八王子まで行きました。
 八王子から橋本までは横浜線で、車種の記憶が全く無い。多分モハ60か何かだったと思うけど、おぼろげながらの記憶も無いのです。
 橋本からは、茅ヶ崎行きの気動車キハ41300で、当時、ホンモノの田舎だった相模線の車窓風景をたっぷり楽しみつつ茅ヶ崎まで行ったのです。南橋本〜上溝〜番田〜原当麻〜下溝〜相武台下、辺りがよかったですね。途中でC11の引く客車列車とすれ違ったりしました。今じゃ想像も出来ない世界でした。

 茅ヶ崎〜東京の記憶も見事に有りませんし、メモすらないのです。フィルムカバーに日付の入ってるのがめっけもんです。

 国鉄・川越駅に到着したキハ44500(たぶん?)。塗色は勿論、紺色と灰色っぽいクリーム。川越駅は今の姿から想像も出来ないくらいのローカルでした。

 川越と言えば、東武鉄道東上線です。モロ東武タイプのクハです。形式は忘れてしまったけど確か三桁。こんなのが、M+T+Tcで武蔵野の雑木林や畑の中を、のんびり走っていたわけです。

 川越駅で一休みしていた9600です。当時の川越線の貨物は96が引いてました。蒸気機関車と言えば確か朝夕には客車列車があり、私の記憶では夕方、大宮発八王子行きなんて列車もありました。
このbR9692、煙突にオカシナ格好の小型デフが付いてますね。

 高麗川に着いたので私は東飯能行きの気動車から下車し、高崎からやってくる八高線・八王子行きの列車を待つ事にしました。
キハは東飯能に向けて出発して行きました。

  
車窓風景:左より、高萩駅・高麗川〜東飯能の峠越え・東飯能〜金子への登坂

 貨物列車が到着しました。この写真から見て八高線だと思うけど、良く判らない。(川越線かも)
当時の高麗川駅は広い構内に貨車が並び中々の賑わいです。

 いよいよ八王寺行きの入線です。牽機はC58394でオハ61を並べた綺麗な編成でした。当時、私はオハ61やオハ60は、座席の背ずりが木なのであまり好きではありませんでした。

それにしても、腕木式信号機は優美な形でいいですね。

 東飯能での列車交換。撮影場所は八王子行きの客車の最終端部から。向う側の丘陵を1000分の20で越えて高麗川へ至る訳です。左側に西武の架線が見えます。

 高崎行きの発車です。

 拝島を出た列車は青梅線をオーバークロスします。青梅線の電車が一寸写ってます。現在の姿が想像できますか?

 八王子から横浜線で橋本駅で降りました。相模線に乗りかえる為です。原町田方面から、貨物列車の到着です。牽機はC58100です。
当時の横浜線は菊名まで貨物列車が入り東急東横線へ貨車を入れていました。

 いよいよ相模線の気動車の登場です。キハ41318でした。機械式変速機方式の軽快な気動車です。辺りの景色は、まだ田舎でした。

 当時の時刻表が無いので何処の駅か良く判らないのですが、多分、南橋本か番田での列車交換。
キハ41316です。

 相武台下駅の貨物列車。C11が引いて発車を待って居ました。当時は未だ相模側の砂利を運んでいた様です。

 これが何処だかわからない。厚木を過ぎて、だいぶ先のほうだったと思います。相模線もC11が客車引いてた時期があったんですね。

何処の駅かお判かりの方がいらっしゃったらお教え下さい。

 なんたって古いお話なもんで、だろうとか、かもしれないとか、かなり記憶があやふやで済みません。ご勘弁下さい。若し、おわかりの方がいらっしゃいましたら、お教え頂ければ有り難いのですが。

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