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■■ 鹿島参宮鉄道鉾田線1964年10月 ■■

1963年の3月に鹿島参宮の鉾田線を、家内の故郷からの帰り道、ちょっと訪問した私ですが
翌、1964年10月、大学の鉄道研究会時代の仲間たちと訪問したのです
その時の写真などを御覧頂きます
1960年10月といえば東京オリンピックの年
つい先日と思ってましたが、すでに40年近い歳月が流れたんですね〜(感慨)


 で、フィルムのスキャンを終わり、ページ構成を考え、写真の加工も終わったんですが、さて、文章を書こうとキーボードに向かったのですが、さあ、その一連の画像を見ても、記憶がさっぱり甦らないのです。車両のデータも、書籍・雑誌類を何年か前に、まさか、ホームページを作るなんて、考えもしなかったので、処分してしまい、さあ、大変! でも、まあ、出来るだけの事はやってみましょう。

 昭和39年10月25日、上野から常磐線の各駅停車の401系電車で、鹿島参宮・鉾田線の接続駅、石岡駅に到着しました。 ホームで記念写真なんか撮ってるうちに準急403Mが来て、撮影。

・・・・・・で、跨線橋を渡って鹿島参宮のホームに向かう。跨線橋のうえから給水塔とか、給炭設備なんかが見える。給水塔は大谷石を組んだ台の上に円筒形の鉄製のタンクが載ってる。なかなかいい感じです。HOのレイアウトに合いそうです。

鉾田線のホームに入るとたくさんの気動車とか、機関車が居ます。さっそく許可をとって撮影です。


 こんなに色んな種類の気動車が居たのです。もう夢中。国鉄から来たらしいのや、東京急行(東横電鉄時代のキハ1)から来たの、私はよく判らない経歴の気動車など、楽しい限りです。


左から・・・・キハ201〜キハ41301〜キハ42202


左:キハ42502/右:DC351

下のアイコンをクリックしますと、それぞれの大きな画像が御覧になれます


 さて、いきなりフィルムのコマはとんで、鉾田の駅。途中どんな事があったのか全くの空白で・・・・・

 
キハ42501と機関車お休みどころ
かわいい給水塔は、ここも大谷石の四角柱の台
・・・・が、タンクは木製の樽型

 推測するに、このキハ42501で、石岡から、鉾田まで乗ってきたようです。そして、折り返し、この気動車で引き返したようです。
 二つ目の『巴川駅』で下車、列車撮影をしたみたい。鉄橋を歩いてこわごわ渡った記憶もチラっとあるんで、次の駅『坂戸駅』で降り『巴川駅』まで歩いたのかもしれません。
 石岡からやってきたキハ40401を撮影しましたが、期待に反して、たいした写真は撮れなかった。残念・・・・・でも、一枚展示します。


キハ40401/鉾田行き

 三枚ほど写したので、このキハ40401が鉾田から引き返してくるのに乗ろうと線路を急ぎ足で、巴川駅に向かう。・・・・で巴川駅でなんとか間に合いました。一枚撮影することも出来たようです。下の写真がそれですね。


おなじく、キハ40401/石岡行き

最前部に乗って車窓風景を楽しむ。玉造町から浜駅に向かうあたりかな?真正面に筑波山!

気動車は、常陸小川駅に入って行きます。ここで、交換。向こうはキハ41301です。


 ・・・・・・で、無事に石岡駅着。ここで又もや車両撮影。


右の建物、良いですね〜、そしてディーゼル機も・・・・・


 先ほど写した車両たちに、さらに4両を追加撮影です。D型のロッド駆動式のディーゼル機関車が楽しいですね。そして、屋根の下には、1963年3月来た時には現役だった2両の蒸気機関車が、役目を終えて、眠って居りました。


キハ42501とDD451


4号蒸気機関車と6号蒸気機関車

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 これで、鹿島参宮鉄道鉾田線の見学は終わりました。常磐線の上り線を特急『はつかり』が通過してゆきました。


このあと、上り各駅停車で、佐貫駅
おなじく鹿島参宮の龍ヶ崎線の龍ヶ崎まで行ってます
フィルムの残りが少なかった所為か、だいぶ永い間、火が入っているように見えなかった5号蒸気機関車と
未だ現役・健在の4号蒸気機関車を数コマしか写しておりません
その写真は、また場所を改めて、御覧頂きましょう。

 では、また・・・・・・・・・・


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