■■ 東武鉄道・機関車、電車&貨車・1954年夏 ■■
1954年8月
( 2009.10.24・全面的に再編集&画像拡大 )
当ページは、思い切って画像を大型化したため
画像データだけで約2MBあり多少「重い」と思われます
ご容赦ください
昭和29年、私は高校2年生
・・・・・その8月、生まれて始めての「関西電車旅行での大感動」の後のことだったようです
東武の蒸気機関車、貨車を見に行きました
1954年・昭和29年8月のお話です。なにしろ、55年も昔のお話ですので
、記憶はかなりいい加減なのですが、写真はホンモノです。
常磐線国電区間の綾瀬駅までは、たぶん上野駅からやってきたのでしょう。下車して、綾瀬川の鉄橋でモハ41を写し、国鉄鉄橋の下流にある橋で綾瀬川を渡り、何処へ行ったのでしょう。東武鉄道小菅駅でしょうか、同じく東武鉄道の五反野駅でしょうか・・・・・田圃と刑務所を見たような気もしますが、ほぼ完全に近く記憶は欠落しています。メモすらないのですから、残っているフィルムの画像だけが頼りです。
そう言う訳で、東武電車に乗って、
『竹ノ塚駅』まで来ました。先だって、舎人ライナーの終点からバスで行った竹ノ塚駅は、完全な都会の街並みの中にありますが、当時は、完全な田舎の風景。竹ノ塚駅まで行ったのは、別になんでもない、お小遣いの範囲で行ける限度という理由だった気がします。
『竹ノ塚駅』です。側線では長物車にレールの積み込みだか積み下ろしだかをやっているの
が写っています。電車の写真はありません。
今の竹ノ塚駅からは想像も出来ないのどかな風景。この長物車、どうも履歴にいわくが
ありそうです。
車端部を拡大してみましょう。端梁にあいたバッファ痕跡の穴、イコライザつきの小型台車。東武の線内 専用、形式はチサ100なのでしょう、その104号・・・・という事は4両はあったの でしょう。貨車には珍しいトラス棒もついている。
これは、まったく私の想像なんですが、このチサ104、前身は客車だったのではない か?と思うのです。機芸出版の「私鉄電車プロファイル」には、東武鉄道がスタートした 頃の客車、ホハ1とか、ホハ2のスケッチが出て居りますが、台車の形、トラス棒、等、 床下はそっくりです。その客車の後の姿なのではないのだろうか????・・・・と。
ここは、『西新井駅』。国鉄の駅か
な?と思うようなシーン・・・・C11が貨物列
車を牽いて通過してゆきます。
東武にもC11が居たのです。調べてみましたら、ナンバ ーはC112で、日車1945年製造、廃車は1963年だそうです。機関車次位の国鉄トキ900形3軸無蓋車が無性に懐かしい。この頃は何処へ行っても 山ほど居たものですが何時の間にか消滅していました。
これも、『西新井駅』です。羽生行の普通電車クハ800形812とモハ7800形(7812かな?)。この一族
は、大量に製造され、かなりのバリエーションがあるらしいけれど、詳しいことは判りま
せん。妻面右下の銘板は東京・日本車輌・昭和xxxと読めます、製造年は拡大して見る
と、昭和1X年に見えるけれど、国鉄モハ63が東武へ来てモハ7300、車体更新でも
あったのでしょうか・・・・。その辺り迄が、私の探究心の限界で・・・・。車体側面ナンバー部分の拡大は、「クハ812 東武鉄道」でしょう。
こんな電車も来ました。元、特急用のモハ5312、でかいパンタグラフ、お椀形ベン
チレータ、車体裾の切れ込み、大型の貫通幌枠、クロスシート。色は忘れましたが、マル
ーンにベージュだった気もする。乗務員ドアが片方しか無いってのもカッコ良いなあと思
ったりします。元々は、1935年生まれのデハ10+クハ10と称したとの事。この日
は、如何いう運用だったか判る訳もありません。何となく、乗ってみたくなる、魅力的な
電車です。
浅草行の電車に乗って、蒸気機関車と、模型製作の参考資料としての貨車を期待して業
平橋へ向かいました。その電車の窓から・・・・ここは、多分、西新井駅の工場への分岐
あたりと思うのですが、如何でしょうか?荷電がいました。ブリルMCB台車を履き、台
枠丸見え、窓部分だけのウインドウシルとヘッダー、東武を絵に描いたような電車です。
ナンバーはよく読めないのですが、ネガをルーペで見ると「モニ1170」と、見えない
でもありません。
・・・・・・この日に写した電車はこれっきりです。せっかく東武まで来ながら、こんな程度。今、 考えれば、何やってるんだ!って感じですが、当時としては懸命だったんでしょう。
途中の『鐘ヶ淵駅』でワフを写しています。模型化を目論んでいたようです。可愛いワフ3
01形の307。羽目板がだいぶ歪んでいるのが、光線の具合で目立っています。
東武鉄道の本社のある『業平橋駅
』に到着寸前、貨物ヤードが見えてきます。あっ!居た居
た居ましたっ!・・・・・真ん中に写った、小さな直方体の貨車。今回の最大の目的、タ1形タンク貨
車。これは、もう降りるしかありませんね!
『業平橋駅』で下車しまして、駅前の東武の本社ビルを真正面から入ってゆきました。まるで駅の改札からホームに出
るように、ちゃんと出来ていて、昔のホームも残っていました。そのホームが、後の通勤
輸送に役立ったようです。お目当ての英国製の蒸気機関車は不在で、ちょっぴりがっかりした私でした。
しかし、米国ボールドウィン製の、22号蒸気機関車が居ました。絵に描いたようなアメリカンスタイル、片ボギーの炭水車が中々です。国鉄5900似の1913年製。元はD1と呼んだそう
です。
前から見てみましょう
端梁とボイラーを結ぶステーも良いアクセントです
電気機関車も居たのです。ED451・・・後のED4020形で1948年東芝製。
・・・・・・・業平橋の貨物ヤードでは、模型化の資料用を前提で写したらしく、国鉄の貨車の写真は一枚も撮 っていません。
さあ、これが問題のタンク貨車、タ1形の8です。東京都民製造の有機肥料を消費地に
供給する目的で作られたタンク車で、木造です。中味が中味なので「突放禁止」も頷けま
す。端梁にバッファの穴があるところを見ると、古い貨車の改造なのでしょう。
ワ401形有蓋車403、小さく可愛い貨車で、模型にして列車に組み込みたい感じで
す。
このワ403の松葉スポークの車輪・・・・・なかなか優雅なものですね
気持ちの余裕があった時代の生んだ形でしょう
ワ313です。この細い板を縦に並べた造りが堪りません。こういう貨車って大好きで。
ト331形の341。整備完了が『29年8月』ペイントも真新しい新車状態・・・・
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ひょっとして、新車??
最後は緩急車で締めましょう。トフ801形の805。
竹ノ塚駅〜西新井駅〜業平橋駅と回ってきましたが
フィルムはここで終わっています