■■ 名古屋への旅・1959年6月 ■■
1959年(昭和34年)6月3日〜4日
大学4年のとき鉄研仲間のHさんと名古屋まで旅したときのお話です
1959年6月、1960年3月にノートにまとめた記録です
一部は改訂しましたが・・・・・・・
カメラは当時愛用していた兄のカメラ、ミノルタセミP
富山へ帰省する同じ大学の鉄道研究会仲間のHさんを見送り、ついでに静岡鉄道駿遠線を見物してくるつもりで、東京駅の14番線フォームに、たどりついたのが7時40分だった。しばらく探すうちにHさんがフォームをぶらついているのを見つけたので、二人前の席を前頭から2両目のモハ91(今で云うモハ153ですね)に見つけておさまった。50分、ベルが鳴りやんで空気バネとカルダンの静かなスタートである。品川を過ぎてやっと一人前のスピードを出し始める。乗っている列車は東海一号である。
横浜へ着くなりHさんはシウマイ弁当を買い込んで目の前で美味そうに食い始めた。こちらだって、食べたくないことは無いのだけれど、大船軒の鯵のすしが食べたいから我慢する。大船に着いた。向こうの方に、木造の客車が2両ほど置いてある。フォームに降りると、丁度そばにあったスタンドで鯵のすし(80円)を買うと急いでドアエンジンが動作しないうちに、モハ91に飛び込んだ。発車した車中で、ひさしぶりの、鯵のすしで朝食をした。美味い。
いろいろと話をしているうちに、計画を変更して、名古屋まで行くことにして、熱海で、名古屋までの往復乗車券と、豊橋までの準急券を買った。五反田から10円区間という乗車券で乗っていたのだから。
そして何時ものように沼津を過ぎ、静岡を過ぎ、浜松を過ぎ、そして浜名湖の鉄橋を渡って暫く走り、豊橋に着いた。フォームでうなぎ弁当を買った。ブリッジを渡って名鉄のフォームへ。12時35分発の急行が停まっていて、じきに発車らしかった。この車がいちばんの新車、冷房つきの5500で、あわててシャターをきった。そして 駅の外へ出た。
モ5500系
いまのスカーレット単色よりも、この二色塗り分けが好き
Hさんと、駅前に次々と来る豊橋鉄道の市内線を写す。元は名古屋の市電じゃないかと思われるスタイルの単車がある。鉄道線も写すが、あまりピンと来るタイプではなかった。
当時はあまり感動しなかったようですが、今見ると中々のスタイル
トレーラーは明らかに元気動車
名鉄で名古屋へ行くつもりで乗車券を買って、またフォームに入ると、13時05分の特急は5000の6連であった。5200や5500でないのは残念だったけれど、ともかく車内に落ち着いた。最後尾の5000に乗り込んだのである。後部ドアの、すぐ前、進行方向右側のワンセクションを二人で占めて、転換クロスを向かい合わせにした。おしゃべりをしたり、写真を撮ったりしているうちに、定刻発車。5000は初めてで、乗り心地は良い。車内も40%ほどの入りだ。
私たちの乗ったモ5000系特急
さっきから、こちらの態度や話で、レールファンとみたか、一人の男性が話し掛けてきた。名鉄の車掌さん(非番)だそうで、沿線案内、車の話、切符の話と、いろいろと語ってくれた。さっき買った弁当を食べたけれど、あまり美味くなかった。車内を良く見てみる。5000形のオール転換クロスシートは一寸うすよごれていて、シートの頭のあたるところに掛けた白ビニールに、何とか電気のなんとかと、コマーシャルが入っていた。
後部運転台のメーターを見ていると100km/hを超えるスピードが出ている。そんな区間が長々と続くところがあるので快適である。そんなところも、知立を過ぎれば、80km/hがせいぜいということになってしまう。神宮前で、また5500に会う。普通に走って、トンネルに入って、新名古屋駅についた。フォームは三本(線路は上下の二本)で、両側が乗車用で、真中が降車用となっていた。反対側の線路に3400が急行になって停まっていた。3400も格が落ちたなあ、寂しいなあ、と思った。
豊橋行急行仕業のモ3400系
地上に出ると、相当に暑い。まるで、夏であって、セーターを脱いで、荷物と一緒に、国鉄名古屋駅構内の一時預け所に預けて、身軽にな
る。Hさんはこのまま、旅を続けて富山へ向かう。私は、名古屋駅前で写真を撮り始めた。市電の写真だが、駅前は、いろんなルートの市電が集まっていて、写真を撮るのに非常に都合がよろしい。ドラムブレーキを回した1800、それのない1800、スマートな2000、連接2600、2700等々、いろんなのが来る。
そして、ドラムブレーキのついた1169に乗り、伏見通りで下車し、納屋橋東に戻って、ここから市電で、名古屋駅に戻った。
そして、近鉄名古屋の地下フォームに近鉄を見るためにはいると、折りよく特急6431形、6421形が入ってきた。色は特急スタンダードで、下がブルー、上クリームである。6431
系のスマートなこと!ほかにしきりとダークグリーンの電車が出入りする。駅に入ってくるときのダブルタイフォンの音は感動であった。
近鉄名古屋駅です
当時最新の名古屋線特急車6431系
駅員の制服が詰襟ですね
そのうちに来た電車で、トンネルを出てすぐの米野で下車し、車庫を見る。ここは、名古屋客車区のすぐ脇で、C50が入れ換えをしていたり、キハ55が走ったりするのが見える。さっきの特急車が庫におさまっていた。適当に写し、名古屋に戻る。
狭軌時代の特急車モ6421系は
大阪線モ2251系の流れを汲む素晴らしい車でした
このあと、中学時代の友人と会い、一緒に夕食を
して、遅くなった。汽車の時刻も切迫。名古屋駅に戻り、国鉄のフォームに駆け上がったら、発車5分前の22時30分であった。もう列車は入っていて、良い席はありそうも無い。席探しをしているうちに、最前部のスハ32の二桁ナンバー、ダブルルーフ車に一つ席を見つけた。そして、どうということも無く、大船まで帰ってきた。大船、横浜間は、工事の関係で貨物線を走ったのはみつけものだった。
のこったお金は20円そこそこだったのは、ちと寂しい限りで、お土産も無かった。
残金20円とは、ホントに寂しいですね
とほほ・・・・・・です
でも、まあ、学生の旅行なんで、こんなところがあってもいいか・・・・