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箱根登山鉄道1954年 ■■■ むーにーさん作品・1954年の箱根登山電車 ■
( 2000年1月4日作成、2009年11月6日画像大型化、追加、本文の一部修正 )
私には7歳年上の兄が居りまして、私の鉄道趣味も兄の影響が非常に大きいのです
その兄、「むーにーさん」が昭和29年の初めの頃、箱根の風祭へ行った時に撮影してきました
なんたって箱根登山鉄道に、未だ、木造車があったのです
小田急も箱根湯本乗り入れの急行に1400系を使っていたってんですからスゴイです
先ず、小田原から二つ目の駅、風祭駅の写真から・・・・・・。
(1) 風祭駅に入ってくる強羅行きの107です。塗色はどうなってたかなあ?多分、腰板と幕板がスカイブルー、窓回り黄色だったと思うのですが、どうでしょう?島式ホームの小田原より先端部からの撮影のようです。
(2)さて、同じ風祭駅の、(1)と同じ場所から写しています。こちらは湯本乗り入れの小田急です。急行に1400系が入ってます。こんな姿を見ますと、1400の急行ってのも中々いいもんです。
(3) こちらは木造の109。素敵でしょう?小型の密連、床下の水タンク、屋根の抵抗器カバー、たまらない魅力があります。
(4) (3)の109の右遠方を拡大してみました。「あっ!水車だ!」。如何やら現役のようです。もっとも、昭和30年代中ごろ、御殿場線の駿河小山駅近辺だったかで、実際に米搗き中の水車を見たこともありましたし、昭和40年代中ごろに、小田原駅西北部、荻窪辺りだったかで道路脇で回って居たのを見た事もありますが・・・・・・。
(5) 109の窓配置です。『 dD5D6Dd 』のようです。2月だというのに、窓が一枚開いています。
(6) 109の床下。
場所は変わって小田原駅のホームになります。
(7) 小田原駅の110です。ご覧の通りの試運転。
(8) (7)の写真のホーム側を拡大してみました。時計は16時10分でしょうか?14時25分でしょうか?冬だし、光線状態を見ますと。14時25分でしょう。色々苦労してみましたが、改札に建っている案内板。完全読み取りは不能のようです。「御案内 毎度御乗車有難う御座います」は間違いの無いところでしょうが、その後が読めない。東海道線、小田急線は、読めますが・・・・。
左端は、箱根だか丹沢だかわかりませんが、小田急の各駅で見られた宮永岳彦画伯の描くポスターのようです。女性の姿が、そんな感じです。
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おまけ ■
同じ、むーにーさんのフィルムに入っていた、1954年・昭和29年の目蒲線の大岡山駅の3041
。国鉄のワム23000を従えて休憩中です。当時、大岡山駅には貨物・荷物を扱うホームが有りました。
そう云えば、当時、東急で国鉄から直通の貨車が入ってたのは、私の記憶では「大岡山」・「田園調布」・「菊名」の3駅でした
。写真のバックで建設中の鉄骨は東京工業大学の体育館です。