目次へ戻る

■■ 東京急行電鉄・砧線1959年 ■■
1959年(昭和34年)9月

私の住まいから、そんなに遠くない二子玉川園駅から砧駅までの
2キロそこそこの線区が砧線です
全線単線で、二子玉川園を出たら終点まで交換設備もありません

二子玉川を出ると左にカーブし国道246を踏み切りで渡って中耕地駅
田圃の中を真っ直ぐにのんびり走り左に曲がって吉沢駅
鉄橋で野川を渡って暫く走ると終点の砧駅です

その砧線を写しに9月のある日、ミノルタセミPを持って出かけてゆきました
当時、如何いうわけだか気取った写真を撮りたがってたらしく
なんだかおかしな写真が多いですが御覧下さい


  当日使用されていた車輌はデハ64でした。何たって45年も昔の事ですから、殆ど記憶は無いのですが、フィルムを見ますと、私は、たぶん二子玉川駅からその電車に乗り、二つ目の吉沢駅で下車したようです。吉沢駅の周辺で何枚か写しています。

野川に掛かる橋梁に差し掛かった二子玉川園行きのデハ64
渡り終えれば吉沢駅です

画面の左、二子玉川園に真っ直ぐに続く線路
電車は砧行き
この右、すぐに踏み切りがあります
右側の木立は確か家があったと憶えています

この真っ直ぐな道は現在は遊歩道も併設され大事にされて居ます

上の写真とほぼ同じ場所です
当時は目新しかった公団二子玉川団地が見えてますが未だ健在のはずです

9月ともなれば田圃の稲も穂をつけております

前の写真の反対側、二子玉川園方面から砧方面を見ています
この先のほうで線路は左にカーブし、踏み切りがあり吉沢駅です

線路の両側は水田で、まるっきりイナカの風景です

上の場所の辺りで撮ったと思われます
小さな水路を渡る電車

 さて、吉沢駅から野川を渡って、砧まで歩きます。池があって、なんだかのんびりした風景がありました。ここで2枚ほど写しています。

水面に写る『逆さ電車』を狙ったようですが漣が立ちました
 

 暫く歩くと、砧の駅に付きました。右に見える樹々は、ここは確か浄水場でいまも有る筈です。

単線の線路が行き止まりになっただけの砧駅に電車が入ってきます

砧駅を二子玉川園方面から見ると真っ正面に『わかもと製薬』の工場がありました
こう見ると、まるで工場専用の駅みたいですね
いまはたしか大学だったか、学校になっていますね


これで、砧線の写真集はお仕舞いです
家の近所だった割に玉電は、そうは撮影に行っておりませんでした
近すぎると『何時でも・・・・』って気持ちになってしまうのでしょう

近いうちに、こんどは玉電の写真をお目に掛けましょう・・・・・と、思っているのですが

  目次へ戻る