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■■ 江ノ電1959年( 第一巻) ■■
1959年(昭和34年)11月

(鎌倉〜極楽寺)

昭和34年11月30日・月曜日の事でした
私は某工科系大学の4年でした
その日は多分授業が無かったのでしょう、鎌倉〜江ノ島〜藤沢と『江ノ電』に乗りに行ったのです
恥ずかしながら、この日が始めての訪問でした


 お天気もよく、大好きな京浜急行で行くことにしました。逗子線の終点が逗子海岸駅だった頃のお話です。終点の1つ手前の、湘南逗子駅で下車、すぐ近くの、国鉄の逗子駅から横須賀線で鎌倉入りしました。最初に書きました様に、初めて乗る江ノ電に期待しながら初乗りです。 通称『江ノ電』、1959年当時の正式社名は『江ノ島鎌倉観光株式会社』でした。

  さて、『鎌倉駅』から江ノ電の電車に乗りました。フィルムを見ますと乗った電車は『501』らしく思われます。 『鎌倉駅』の次の『和田塚駅』で下車しました。住宅地の中を走る路線は、人の通行が事実上自由で、線路からしか入れないような家も沢山ありました。これには、かなり驚いたものです。


和田塚駅で
501が遠ざかって行く

 一寸の間、『和田塚駅』で駅の内外を観察しました。

出札窓口の中の様子です
切符の棚、古い電話機、アルミの電灯の笠、昔タイプの机に椅子

改札口の外から見たホームと乗客

電車はNo.116

駅前の踏み切り風景
電車は出てゆき、 お客さんは、それぞれの方向に散って行きます

鎌倉駅で折り返したNo.116が藤沢行きとなって戻ってきました

 この辺りの記憶がサッパリ駄目で、『和田塚 駅』から 二つ目の『長谷駅』まで、電車利用だったか、歩いたかはっきりしません。ともかく、『長谷駅』までやって来ました。ここから、『極楽寺駅』方面に歩き出します。

少し歩いた辺りの線路周辺の光景ですが・・・・・・
線路が道路化しているのがよく判ります

『長谷駅』と『極楽寺駅』の間には江ノ電唯一のトンネルがあります
その少し手前の神社

地図に拠れば『御霊神社』というらしいです

やがて、トンネルです

トンネルに向かう藤沢行き電車

トンネルの反対側、極楽寺側にやってきました

鎌倉行きの105がトンネルに入って行く

 トンネルの先は、すぐに『極楽寺』駅で、ここには、工場があります。緑に囲まれた静かな駅だった記憶があるのです。


『 極楽寺駅』


のんびり歩いて、やっと工場のある『極楽寺駅』に着きました
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