■■ 単線時代の国鉄横浜線 1966年 ■■
1966年(昭和41年) 春
1966年の4月1日に、東京急行電鉄田園都市線が長津田まで開通
友人と二人、田園都市線訪問の前に、国鉄横浜線を撮影
いまの古淵駅(当時、まだ古淵駅なし、開業は1988年3月)辺りから
線路に沿って原町田駅(1980年4月、町田駅と改称)まで
電車を写しながら歩きました
東神奈川からの複線化工事は、町田までの1979年7月完成
町田から八王寺方面淵野辺まではは1980年9月完成で、1966年当時は未だ単線
通信線の電柱は多数の横木を付けた所謂オイランスタイル
丘陵地には木々が茂り、平地は田圃と畑
完全な田舎風景
このアルバムは以前、このホームページを立ち上げて間も無い頃、発表した事があるのですが
その後、削除しておりました
この度、写真を大型化してリニューアル公開致します
八王子から橋本、相模原、淵野辺と走ってきた国鉄横浜線は、相模原の台地上から、掘割、築堤と、なだらかな下り勾配を、町田市と相模原市の境界線、境川の氾濫原というか低地へ降りて行き、原町田駅に達します。その掘割を行く電車です。
(左)クモハ60を先頭に磯子行きの電車(向こう側が八王子)
(右)左の写真の陸橋の上から八王子方面を見る/先頭はクハ55か
同じ陸橋の上から東神奈川方面を見る
磯子行き電車の最後尾はクモハ73
スミレが咲いているところを見ると4〜5月らしい
磯子行きのクモハ60(向こうが東神奈川)
掘割から築堤になる辺り
クモハ60を先頭に、磯子行き
築堤が終わると家も増え、原町田駅も近い。行政協定道路といわれていた、町田市森野から、国道16号の鵜野森に出る道路をくぐる。遥か彼方に、小田急の線路が見えている。
73系で固めた八王子行きがやってきた
上の写真の場所から、ちょっと歩けば小田急とのクロスも近い。小田急と横浜線の交わる辺りに東京都住宅公社の森野住宅があります。そこの何号館か分からないけれど、階段を上って、横浜線を撮る。
どうやら電車は八王子行き(左が八王子)、向こうの工場は『日米富士自転車』、丘陵の斜面の右端に妙延寺の屋根
現在は工場は無くなって、高層アパート、町田市民ホールなどが建って居る
線路の手前は団地の敷地ですが、現在、樹木が成長し、こんなには電車が見えない筈
原町田駅のプラットホーム
ついでに、同じ原町田駅でも1963年(昭和38年)の11月。朝の通勤時間帯のようですが、記憶がありません。東神奈川方面行きの電車が入ってきました。ホームの左側には、八王子行きが交換を待っています。
右側に見えるホームには小口の荷物が積み上げられ荷電を待っています
右端には無蓋車もいます
C58が八王子から貨物列車を引いて来ていた頃のお話です
現在の町田駅は場所も八王子よりに移動し、形も変わって、このころの面影は全くありません
上の写真の部分拡大
積み上げられた荷物と原町田の駅名標
これで、1966年1963年の横浜線アルバムはお仕舞いです。