■■ 静岡鉄道秋葉線(1) ■■
1959年3月


( 2009.10.29 画像大型化・説明文一部修正 )

  1959年3月9日、東京駅発23時40分、大阪行の普通、421列車で出発。翌10日、早朝6時40分、袋井駅に到着しました。
 大好きな静岡鉄道駿遠線を訪ねる為だったのですが、駿遠線の発車時刻までの時間つぶしの為に駅前の広場に出たのです。存在は知っていましたが、全く期待もしていなかった静岡鉄道の秋葉線 が目の前にありました。
 若い助役さんの許可をとって、駅構内に入ります。私は、あまりに素晴らしい光景に、ただ、あっと驚いて立ち尽くすだけでした。

 連結器がバッファ・リンク式で凄い、しかもブレーキは手動ブレーキで 凄い。ポール集電じゃないのがおかしいくらいです。今考えると、私の行動は不可思議なものでした。あまり写真も撮らず数枚のショットを残したのみだったのです。たぶん、駿遠線に気持ちが行っていたのでしょう。ともかく、当時の秋葉線の電車の姿をご覧下さい。

 秋葉線は、国鉄東海道本線の袋井駅前広場の反対側にある『新袋井』から、お茶の産地として有名な、あの「森の石松」(なんたって浪花節の主人公だから、今の若い方たちはご存知無いでしょうが)の『遠州森町』まで走っていました。併用軌道と専用軌道の入り混じった路線だった筈なんですが。乗ってないのでよく解らない 。
 友人の話だと、遠州森町駅は機廻し線が無く、電動車がトレーラーを後部に付け替えるのに、駅入り口の勾配線を利用して重力で入れ替えると言うスゴイ方法を採っていたのだそうです。見ていないので何とも云えないけれど。まあ、操車場のハンプ(坂阜)ですね。そんなのも終点まで乗ってれば 、この眼で、真偽が確認できたのですが・・・・・。
 いま、考えるとホントに惜しい事をしたものです。マッタク!!


(1) デハ3がトレーラーを引いて到着しました。東京にYゲルは無かったので(大阪地区には沢山有ったけれど)非常に珍しく感じました。でも、何たって連結器と救助網、ハンドブレーキ、更に乗降用のステップは運転士の足もとのレバーを手で動かして操作するという、それはもう言語に絶する素晴らしさ。 運転台の前面の小さな「円盤」は、『続行運転※』との事です。
 ※ 続行運転:一閉塞区間中に二つ以上の列車が運転される事。

(2) お客さんが、どんどん降りてきます。続行円盤はいつの間にか外されて居ります。

(3) (2)のデハ3の部分を拡大してみました。床が高く、降りるのも大変そうです。乗降に用いる木製の踏み台もある筈ですが見当たりません。

(4)トレーラーです。サハ?1ですが、いや、ホントに涙がこぼれる素敵な客車ですね。再び云います『乗っときゃあ良かった!』。

(5) これが連結器です。いいですねえ。こんなのが日常的に見られたんだから『昔は良かった』ね。

(6)こんどは貨車です。駅のすみっこに、ひっそりと休憩中でした。


 


スゴイでしょ!ほんとに凄かったんです
何たって昭和34年ですからね
有る筈のないものに遭遇して、ただ驚愕でした
この方式の連結器は何もここだけじゃなくて
秋保電鉄(宮城県)、伊予鉄道(愛媛県・・・シングルバッファ)
でも見られたのですけど

 廃止は昭和37年でしたが、惜しい路線だったです
このあと昭和35年にも訪問しています
別のページで展示中ですので、御覧下さい