■■ 鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線1962年:前編 ■■
1962年(昭和37年)1月
お古いお噺を一席申し上げます
1962年(昭和37年)のお正月、たまたま残っている切符を見ると4日のことです
この日は木曜日なのですが、私の勤めていた中小企業もお休みだったようです
写真や切符を見ても思い出せる事は少なく
はなはだ頼りない事ですが、ご報告いたします
結婚後、何ヶ月も経っていなかった当時、横浜
に住んでおりましたから
京浜東北〜常磐線と乗り継いで、佐貫駅までやって来ました
ここで、連絡の「鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線」を訪ねたのです
東神奈川駅で佐貫までの切符を買い、京浜東北〜上野〜常磐線の、たぶん401系の普通電車で、佐貫駅まで行ったのでしょう。この頃は、龍ヶ崎線もまだ、鹿島参宮鉄道でした。関東鉄道となるのは、1965年のことです。
1900年開業の龍ヶ崎鉄道に始まる当線、当時でも、明治時代風のシーナリーと車両を有する、素敵な雰囲気を持つ鉄道として有名でありました。
鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線佐貫駅の出札口で切符を買い、記念にと、ついでに買った、唯一の中間駅、入地までの切符が残っています。上は褐色となり、オリジナルの色も定かでは有りませんが、元の色の再現を目指してフォトショップで頑張ってみましたが、技術未熟は歴然で、この程度までしか回復出来ませんでした。。
乗ったのは、多分、気動車のキハ40402・・・・みずほ号だったのでしょう。龍ヶ崎の駅前、構内は4年前、1958年(昭和33年)に初めて訪問したときと、それ程変わっていませんでした。構内を歩き回って、構内風景、機関車、客車、気動車を撮影しました。
龍ヶ崎と言えば、4号機関車、そしてポプラの樹。機関車にはお正月らしく、しめ飾り。
構内の建物配置、配線のスケッチですが、実は、この略図、1958年(昭和33年)当時のものです。建物の配置とかは、それ程変わっていませんが、車両は、随分、異動があり、なくなったものもあります。客車庫とある建物の中の、ハ5なる明治生まれの客車は、消滅しておりました。
図面を書き直すのも何なので、1958年当時のノートの悪戯書き(笑)を、そのまま載せます
かなり気に入ったのでしょう・・・・4号蒸気機関車を、写しています。大正14年、川崎造船所製のこの機関車、嬉しい事に、龍ヶ崎市歴史民族資料館に保管展示されているとの事、一度、ご対面して来たいものです。
オープンデッキ、二軸の客車『ハフ2』です。サイドは、1958年当時、既に鉄板で張られていました。兄弟分のハフ3も居ましたが、たぶん、この時既に廃車になっていたのでしょう。
良い客車ですね・・・・・一度は乗って見たかったです
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