・・・・・と、云うか再登場です
■■ 千葉・茨城の小さな旅(上)/1963年3月 ■■
京成電車と国鉄成田線
1963年(昭和38年)3月、家内の実家に行ったんですよ
当時は土曜日は休日じゃあなかったし、しかも14時終業なんで
都内のどこかで家内と待合わせたと思うんです
でも、完全に忘れてる
まあ、ネガに写りこんでるものから推測して書いてみましょう
カメラはたぶんミノルタAL(ロッコールF2/45ミリ)
都営地下鉄、浅草線に乗りまして押上から京成乗り入れ、電車は都営の小岩行きでしたから、京成高砂で成田行きに乗り換えです。小岩行きの都営地下鉄の5033が出て行くと、追いかけて成田行き(列車種別は覚えてない)が入ってきました。
まあ、いろいろ有りまして(有ったんだろうと思う ^_^)電車は無事、成田駅に着きました。
(左写真)3132(左)と3128(右)/(右写真)3120・・・・スゴイ場所に入替信号機
京成の駅から、国鉄の成田駅はすぐです。佐原までここから汽車に乗るのです。乗る列車は蒸気機関車牽引の17時00分発441列車です。当時はまだ1等車つきの列車
(当時の等級は1等と2等の体制で・・・・その後、現在のグリーン車・普通車の体制となった)が一本あって、この列車がそれでした。機関車はC58149,次位はスユニ3013でした。その次が1・2等合造車のスロハ31
(スハ32の系列)です。
給水塔に凍結防止の藁が巻かれているのも時代ですね。
コンプレッサ・・・・・・・鼓動が聞こえそうです
スユニ3013では、今しも荷物の積み込み中。なんと反対側の線路上には、下ろした荷物が・・・・・・(^O^)。
やがて、16時56分、我孫子から列車到着。毎度のキハ17。(左写真)
発車も間近い441列車に乗り込めば、千葉行きのホームにはすでに、17時16分発の442Dのキハ17ほかの3連が入っております。(右写真・・・・たぶんスロハ31の前部デッキからの撮影のようです)
多分、441列車は定刻に発車し、久住、滑河、下総神崎、大戸、と数えるように停まって佐原に着いたのだろうと思います。だいぶ薄暗くなりホームには明かりが点いておりました。ホームの反対側には、17時40分発の新宿行き準急キハ28の3連発車を待っておりました。この準急は19時45分に新宿につきます。
441列車は編成が長い所為か(多分8両)ホームを大きくはみ出しております。右端の高校生くんは、このまま、しみ出してしまうコンタンのようですね(^_^)。
橋を渡って、外へ出ます。跨線橋のうえから、ホームに入った列車を撮影。千葉行きの444列車も客車です。ずらりと並んだガーランド型の通風器が美しいですね。
(左写真)銚子方面を見る/(右写真)千葉方面を見る
右写真の拡大画像です
そんなわけで、佐原で下車し、ここから又、バスに乗りまして家内の実家のある町へ向かったのです。
帰路は如何したのでしょう。同じ佐原から千葉〜東京だったかもしれないし、ひょっとして、玉造町から鹿島参宮鉄道で石岡へ出て常磐線で東京へ帰ったのかもしれません。そのあたりも、すっかり忘れました。また、フィルムを探してみましょう。