■■ 相模線・1966年・夏 ■■
国鉄相模線南橋本駅
非電化時代の国鉄相模線・南橋本駅の小さなアルバムです
キハ30ファミリーに埋め尽くされる前で
キハ17やキハ20が活躍中、キハ35が入り始めた頃のお話です
この頃のフィルムは、家族の写真が多く
鉄道の写真は写していても、『記録』という意識が低く、撮影年月の記入がありません
同じフィルムの終りの部分に写っている、我が家での友人・家族との記念写真から
1966年・昭和41年7月中旬
の撮影という事は判明したのですが・・・・・
この頃は、丁度、車を持っていなかった時期なので、バス、電車利用でのお出掛けでした
国鉄横浜線に接続する橋本駅から、キハ20
−キハ17−キハ17の気動車列車で、次の駅、南橋本駅に着いたのは、朝もだいぶ早かったようで、靄が掛かった風景です。
ここで下車して、暫くの間、往来する列車を撮ろうと言う訳です。ただ、残念なのは、時刻を判定できるモノがなんにも写っていないのです。ここが、南橋本駅だと確信を持って言う事が出来ないくらい、記憶が怪しいのです。
怪しい記憶の中に、『朝』というキーワードが残っています。
南橋本駅ホームの茅ヶ崎よりの先端で、乗ってきた列車と交換する、橋本行き列車の到着にカメラを向けます。カメラは多分、ミノルタSR−1だったと思います。
構内は側線や工場引込み線もあり、腕木式信号機が立ち並んでいます
やってきた列車は、キハ17を先頭に・・・・・
ホームを振り返れば・・・・・・
左は到着した列車・・・・・・・・・前からキハ17−キハ17−キハ20
右の、私の乗っていた列車も、キハ20−キハ17−キハ17
しばしの間、この小さな駅に、エンジンのアイドリングの音が満ちた事でしょう
橋本行きは出て行き、タブレットを持って駅員さんが走る!!
フィルムをルーペで見ても帽子の『筋』が何本あるのか分かりません
茅ヶ崎行きが去ってゆきます
駅事務室の前、腕木式信号機を扱う梃子が並んでいます
いい加減な私の記憶に
ここが南橋本駅だという確信を与えてくれた「南橋本の文字」が
No.4とNo.6の梃子の間に見えます
よほどのスローシャッターを切ったのでしょう・・・・ブレてます
駅を出て橋本駅よりの線路脇で待っていると、茅ヶ崎方面行きの列車が来ました。おそらくさっき、橋本へ向かって
行った気動車なのでしょう。
向こうの立体交差は、国道16号
幹線と違って、ここの通信線の電信柱は腕木が4本、碍子が16個
南橋本駅全景
現在の南橋本駅は、すっかり様子が変わり、同じ場所とは思えません
足元も見てみましょう
信号機とポイントの連動装置って言うんでしょうか・・・・・・
こういうメカニズムを見ていると、安全への先人の苦労が偲ばれます
拡大してみました
頃は良しと引き上げる事に・・・・・・。次の列車で橋本駅に戻って来ました。
橋本駅の相模線、横浜線の共用ホーム
右には横浜線の73系電車の側面が写っています
真中は、私が乗ってきたキハ20+キハ30
左に留置中の気動車はキハ20+キハ20かな?・・・・・。
貨物側線もあって長閑な風景ですね
現在は、この左側に京王電鉄相模原線の高架が出来ています
40年という年月は、こうした風景を変えてしまうには充分です
茅ヶ崎行きの列車が出てゆきます
キハ3042+キハ20
キハ30は多分、新車ではないでしょう
何処から来たのでしょうか・・・・・・
現在は、ここは、京王の高架は出来るわ、ビルは建つわで
全く違った風景が展開しています
ここでフィルムはお仕舞いになっています
多分、橋本駅前から原町田行のバスが
わりと頻繁に(一時間に一本〜二本のレベルですが)出ていましたから
きっと、それに乗って帰宅したのでしょう