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■■ 東京都電・1965年(下) ■■

竪川と南砂町三丁目

まだまだ、東京都電も元気で
「14系統」と「26系統」を除く「1系統」から「41系統」までが運行されていた頃・・・・・
1965年・昭和40年11月3日・水曜日・文化の日
都電を撮りに行きました
港区 虎ノ門〜霞ヶ関〜桜田門〜祝田橋
そして
江東区の国鉄亀戸駅に近いの水神森から竪川の橋梁、そして南砂町三丁目
・・・・・ と巡りました

そのときの写真から
水神森〜竪川通り、南砂町三丁目のアルバムです


 何処を如何通って来たのでしょう・・・祝田橋からいきなり水神森の電停で、同行の友人たちの記念写真を撮っております。そして、竪川に架かる橋梁での都電を撮ろうと歩き出す。

(1) 29系統・葛西橋行の1500形15XXが行きます。このあたり、道路なんだか、専用軌道なんだか、曖昧でよく判らないんですが、それはそれで、長閑で良い雰囲気があって気に入りました。向こうの方に見える、こんもり盛り上がったところが、竪川の鉄橋です。

(2) (1)から少々歩いて、竪川も直ぐ其処です。38系統・砂町錦糸堀の方向幕の1500形1505が来ました。

(3) 竪川の鉄橋から下りてきたのは、38系統・錦糸堀車庫行。方向幕はボケてますが拡大すると、その様に判読できます。

(4) 鉄橋を渡って葛西橋に向かう1500形・1520ですが、なぜか29の系統板がありません。

(5) 竪川の南岸に来ました。ここで、何枚も撮ったんですが、ASA32と低感度微粒子のネオパンFで高速シャッターが切れなかったのか、カメラブレが多く、見られるのはこの駒だけという、技術拙劣な、私。
 日本橋行か、葛西橋行か判りませんが1500形1523です。

(6) カラーも撮りました・・・・と、いってもインスタマチックの一番安価な機種ですので、ブレとボケで、ナンバーの読み取りは不能。とりあえず1500形は、間違いの無いところでしょう。こうして、カラーで見ると、満潮時の水面の高さが判ります。

(7) 竪川の鉄橋から南へ下りると線路は蛇行するように左右に揺れます。38系統・日本橋行の1500形1538が坂を下って来ました。タクシーのちょっと先の竪川に沿って首都高速道路が出来るのは、そんなに先のことではないのです。


 お次は、たぶん、『竪川通』電停から、38系統の電車に乗って移動したのだろうと思うのですが・・・・・私は、南砂町三丁目の電停に居ました。

(8) たぶん、南砂町三丁目の電停辺りからの撮影と思われますが、丁度、貨物列車が通過中の小名木川の貨物線の下を、38系統・日本橋行の1500形1536がくぐって行きます。

(9) その貨物線ガードの反対側に来ています。今度の38系統砂町錦糸堀行の電車は、1300形1301で、1000だったか、1100だったかの車体伸長車。

(10) 38系統の3000形3031が、貨物線の下へ。方向幕は、読み取れません。線路の左右で、男女に分かれて遊ぶ子供たちが可愛い。当時は、何とも思わなかったけれど、この歳になって、そんな気持ちで、改めて写真を見ています。現代の子供たちと比べて、幸せ指数(?)は、この頃の方が高いんじゃあなかろうかと、思ったり致します。


 ・・・・・・この駒で、フィルムは終わっています

上巻・下巻に分けてご覧頂きましたが、この日、フィルム一本36EXを目一杯に使って写したようです
現在の私は、すでに、銀塩写真を撮らなくなっているのですが
ディジタルカメラだったら、こんな駒数では済まなかったと思われます
当時は、一齣を撮る度に、渾身の気合を込めて、シャターボタンを押していたような気がします


この日の撮影に使用したカメラ・フィルム

ミノルタSR−1:レンズはF1.8/55mmと、F4/100mmの二本:フィルムは富士ネオパンF
コダック・インスタマチックの最も安い機種:フィルムはコダック・エクタクローム

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