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■■ 東京都電・1966年 五反田〜目黒( 下巻) ■■
1966年・昭和41年9月15日
「清正公前」から「目黒駅前」まで

このページは、2008年1月23日から、30日にかけて
6回にわたって、 私のブログ「お出かけ通信:blog版」に連載したものです
風景写真的なものは画像を大型化し見易く致しました
大変好評で、読者の皆様から、沢山の貴重なコメントを頂戴致し、感激致しました
この度、ホームページに、上下二巻にまとめて公開するに際し
ブログに コメント頂いた情報も採りいれてあります
ここに、御礼申し上げます

 1966年・昭和41年9月15日・木曜日・敬老の日 、私が28歳の夏のことです。そろそろ廃止お話のある東京都電、その4系統5系統を少し写そうと、同好のKKさんと、山手線の五反田から高輪・白金を回って目黒まで回ったときのお話 の続きです。


 持って行ったカメラは、多分ミノルタSR−1の古い方のタイプでした。山手線の五反田から清正公前までの4系統と、清正公前〜目黒駅前の5系統、計3.6kmを歩いたようです。
 ・・・・「上巻」では、五反田から4系統、白金猿町〜二本榎〜清正公前までをご報告いたしましたが、この「下巻」は、清正公前、現在のシェラトン都ホテル東京の前辺りから、目黒方面への坂道「日吉坂」を登 るところから始まります。
 永代橋から京橋〜日比谷〜赤羽橋〜古川橋〜魚藍坂下〜清正公前と走ってきた5系統の電車は、ここ「清正公前」から〜日吉坂上〜白金台町〜上大崎で、目黒駅前で、国鉄山手線目黒駅に至っています。


 ・・・・・では、「後編」、清正公前から目黒駅前までの沿線写真 です。

 お天気は良かったようで、 「清正公前」から目黒駅方面に向けて、登り始めた「日吉坂」は坂下から坂上方面が逆光のタイミングでした。

(1) 「清正公前」から目黒に向けて歩きます。現在、シェラトン都ホテル東京のある辺りを過ぎて、電車道は日吉坂にさし掛かってきました。逆光の坂を永代橋行1100形1114が坂を下って参ります。

(2) 目黒行1100形1102が坂を登って来ます。左端遠景の三角屋根の洋館は今でも残っていて欲しいものですが・・・・・残念ながら、すでに消滅しているようです。

(3) 目黒行の1121、車内は空いておりますが、さらに、道路には人影が二人。この場所にしてこの眺め、元日の早朝のような、まるで夢の中に出てくるような・・・・・。

(4) 目黒駅に向けて1121が上ってゆきます。もうじき頂上の「日吉坂上」です。

 日吉坂を登りきった辺りから・・・・・・・・

(5) 日吉坂の頂上付近、たぶん右側が八方園。電車は永代橋行きの3214。並んだ商店の建物が素晴らしい眺めです。当時でも、これだけの昔の雰囲気の残っていたのは、この辺りだけだった記憶があります。 この辺り、最近は、ご無沙汰ですが、現在の地図を見ると、マンション林立らしいのですが、日吉坂も含めて、歩いてみたくなっている私です。

(6) 「日吉坂上」の電停です。如何にも『昭和』って眺めです。右側にお風呂屋さんらしき煙突がありますが、現存するかどうか、よく判りません。この右手奥にある瑞聖寺 は伝統ある大きなお寺のようですが、右端の看板の瑞聖幼稚園は現在は休園しているとの事です。左の消火栓に看板の付いている化血研(財団法人 化学及血清療法研究所)は、地図を見ると「ココ」に在ります。
 電車は『古川橋行』で、狭軌の14系統荻窪線から来た2000形2024、細面のスマートな電車です。

 さらに「目黒駅前」方面に歩く・・・・・・。

(7) 「日吉坂上」から「白金台町」あたりと思われます。今となっては現地に行っても、何が何だか判らなくなっていると思いますが、確認に行きたい気も致します。電車は1 100形1113。左端のトヨペットコロナは、結構好きでした。

(8) 古川橋から戻って来た、さっきの2000形2024、(5)の3000とそんなに違わない形みたいですが、細面なので実に格好よく見えます。左に写っている日野コンテッサ1300、これは好きな自動車でした。2ライトでリアのラジエータグリルが鍍金でないタイプが特に好きでした。今見れば懐かしい眺めですが、まあ、普通の街風景ですね。

 「上大崎」まで来ました。

(9) 「上大崎」の首都高・陸橋下あたり、「目黒駅前」から引き返してきた永代橋行の1100形1113。

(10) 目黒駅前行1000形1050。

(11) (10)の1050が首都高をくぐって、「目黒駅前」方面に向かいます。

 「上大崎」電停から次の「目黒駅前」の終点まで、地図で測りましたら、僅か330mしかありません。という事で、 「目黒駅前」に到着してしまいました。

(12) 三両の待機中の電車は、左から1042、3237、1050です。左端の重厚な木造建築物は何時頃のものでしょう。カメラ屋さんのようです。二代目ブルーバードとか、グロリアのタクシーが写りこんでいます。

(13) 「目黒駅前」電停で、到着した8000形8073からお客さんが降りています。目黒車庫では、7000形7052が待機中です。

(14) 国鉄山手線の目黒駅、なにやら工事中。工事に掛かる前の状況の記憶が無いんですね、私には。このあと、目黒駅前をバイパスする道路も、立派な跨線橋も出来、更に現在では、東急目蒲線の地下鉄南北線直通とか、いろいろあって、もう訳が分からなくなりました。チャンスを作って一回、 この五反田駅前〜目黒駅前コースを視察してこなければなりません。
 左側の山手貨物線を、D51やD52が、長い貨物列車・・・・今と違って、各種の貨車混成で・・・・を牽引して、時には砂撒きをしながら、黒煙を吹き上げ、恵比寿に向かって喘ぎながら登って行った昭和20年代の末を思い出します。山手線の目黒駅のホームから眺めていると、ドラフト音が左右の壁面に反響し、凄い眺めでありました。今では、各種の電車が入り乱れて走っておりますね。貨物列車もたまには通りますけれど、様相が全く変わりました。そんな写真も撮ってないという有様ですが・・・・。
 真正面には、恵比寿のサッポロビール会社の 、西洋の古代戦士の兜みたいなのがてっぺんに付いた煙突が懐かしい。手前の鉄骨アーチの橋は未だ有るようです。サッポロビールが、無くなって、ご承知の恵比寿ガーデンプレイスと化し てから、もう、何年になるでしょう。


「五反田駅前」から「目黒駅前」までの3.6km、4系統と5系統に沿って
上下二巻の都電探訪はこれでお終いです
1972年・昭和47年に
現在の荒川線を除いて廃止されてしまった都電の終期の姿をご覧頂きました


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