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■■ 東海道本線の旅(上) ■■
1954年8月11日

【 画像大型化版 】

2000.7.29製作
2010.4.25/加筆訂正と画像大型化

「昔話」を聞いてください。50年近く昔の私の少年時代の話です

高等学校に入りクラブ活動の鉄道仲間も出来て電車汽車の毎日
そんなとき・・・・・
兵庫県西宮市の会社に勤めていた兄から「遊びに来て良いよ!」って話が有りまして
もう、有頂天!


 1954年、昭和29年、世の中多少安定してきて生活に余裕も出来てきた時代の事です。私は東京都立某高校の2年生でした。1年の時は放送部から写真部と渡り歩いて、2年になって工学部というと、名はいかめしいが内容は鉄道研究会のクラブに腰を落ち着け、通学コースも大田区の自宅から、通学先の千代田区まで、月替りでコースを替えて電車を楽しみつつ通学し、『授業と試験以外』は毎日が楽しい高校生活を送っておりました。
 そこに、兄からのお誘いで、10日近い長期間、関西の私鉄国鉄の触れる事ができる事になりました。

  夏休みの事です。既に大学を出て兵庫県西宮市の某社に就職し、社内の施設で自炊の日々を送っていた兄が、「泊めてやるから来ても良いよ」・・・・って云ってくれました。夢のような話でした。

 憧れの関西に行ける! 素敵な電車に乗れる! 写真も撮れる! どんな電車がいるんだろう?

 今と違って、遠隔地の情報が豊富に無かった時代です。大きな期待を抱いて旅に出たのです。費用はどうしたんでしょう?小遣いも沢山貰ってたわけでなく、高校生がバイトするなんて考えもしなかった時代ですので、たぶん家族(兄も含めて)が出してくれたんでしょう ・・・・有り難い事です。


 『関西への旅』に出る日が来ました。1954年8月11日の朝、東京駅にやってきました。山手線で東京駅に着くと、反対側の中央線のホームにモハ40ほかの淺川行きの電車が止まっておりました。今の東京駅とは大違いで、中線が一本有りますし、架線の支柱やビームもよき時代の名残があります。いまでもちょっぴり残ってますね。

 視線を左に振ると、荷扱いホームにモニ13が居ました。バックの白いビルは中央郵便局。

 乗った列車は『急行・阿蘇』で、たぶんスハ42か43だった事でしょう。発車時刻は 、昭和31年12月の時刻表に拠れば、10時00分となっており、昭和29年当時も、そんなに違った時刻ではなかったと思われます。
・・・・・これが、西宮までの乗車券・・・・海道本線・東京都区内から、摂津本山行ですが、旅の前日に買っています。

 列車は、京浜間を快適に走って ゆきます。この写真は、たぶん、大井町から、大森への中間辺りでしょう。

 大森を通過し、春日橋の陸橋をくぐって直線区間。京浜東北の電車を追い抜きます。

 横浜に着きます。東急東横線の3700系 三連のお出迎え。この辺も大きく変わって今では何処だか判りませんね。第一、東横線の地下化で高架が消えてしまいましたし、丘の上まで建物で埋まりました。

 横浜を出て、やがて列車は平塚駅を砂塵を巻き上げながら通過します。

 やがて、沼津駅。EF56 4が休憩している写真を撮っています。私が子供の頃は、電化されているのは沼津までで、ここから蒸気機関車牽引でしたが、この旅をした昭和29年には、すでに名古屋までの電化が完成しておりました。

 鈴川駅、今の吉原駅ですね。岳南鉄道への乗換駅です。機関車ED223がいました。バックの電車もなかなかの味わいです。

 蒲原〜由比〜興津と海辺の風景を楽しみ、袖師を過ぎると静岡鉄道と平行します。横砂行きの67号車です。つぶれたようなトーピード型のベンチレータが良い。

 色々あって、浜松駅が近づきました。子供の頃に通ったとき、駅の手前の側線にC53の廃車体があったような記憶もあります。 小さな川を渡ると右側が遠州鉄道の遠州馬込駅(駅名標は馬込)。これがスイッチバックになっていまして、画面左側、遠州鉄道の浜松のターミナル、「新浜松駅」から来た電車は、この遠州馬込駅で折り返して 、左側に出発し、すぐに右側に分岐し、北の方角にそれて、西鹿島に至っておりました。
 写真では、丁度、電車が一本停まっていて、発車を待っています。留置中の電車も可愛らしい。今この辺は、東海道は高架だし、遠鉄も新駅に移行し、訳が判らなくなっております。

 豊橋駅は、もう其処です。名古屋鉄道渥美線の電車がいました。よく見ると集電装置がパンタじゃないですね。Yゲルかなあ?

 豊橋駅・・・・・・ 名鉄も丁度居ました。3850系の特急です。クロスシート、大きな窓、マルーンとピンクっぽいクリームの塗り分け、重々しい走りっぷりで、好きでした。

 やがて、列車は、名古屋 エリアに入って行きます。熱田駅、名鉄では神宮前駅ですが知多方面からの線が国鉄をオーバークロスして合流します。名鉄本線との間が電留線になっていて 、グリーン塗装の名鉄電車がたくさん居る。もう、大喜びです。これは、3800系ですね。戦後の規格型ですが、見事に名鉄スタイルです。

 国鉄の熱田駅のホーム越しに見える日本車輌の工場にはインド向けのディーゼルカーが出来上がっていました。

 名鉄と平行して走り、 名鉄電車は地下へ入るために下へ・・・・・・私の乗った列車は、名古屋駅に入って行きます。名古屋の市街の眺めは、高層建築も少なく、現在の眺めと大違いでした。
 時刻は、前述の、昭和31年12月版の時刻表に拠れば、16時に近い筈なんですが、お昼ご飯はどうしたんでしょう?途中駅で駅弁でも買ったのでしょうか? 大体、この昭和29年という頃、まともな駅弁なんて有ったのでしょうか、な〜んにも覚えてません。 パンか、お握りでも持参したのかもしれません。


スカイラインが今とは大違いです

  このページの作成に当たり、友人の「はーさん」、「MTさん」、「MOさん」から貴重なアドバイスを頂きました。ここに、御礼申し上げます。

 名古屋駅から先の区間の 『車窓風景』の続きは、下の『Next』ボタンから、「東海道本線の旅( 下)」をご覧下さい。


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