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■■ 東海道本線の旅(下) ■■
1954年8月11日

【 画像大型化版 】

2000.7.29製作
2010.4.25/加筆訂正と画像大型化

東京駅から急行阿蘇に乗りまして沿線の鉄道風景を眺めつつ名古屋まで来ました
「下巻」では、その続きをお届けいたします


 さて、昭和29年1954年の夏は、東海道本線の電化工事も全線完成に至らず、名古屋から先は蒸気機関車の世界でした。機関車を付け替えて、出発です。大垣から先には、関が原越えの勾配区間も控えています。(新垂井経由にはなってましたが)

  名古屋を出ると、今でもそうですが、地下から出てきた名鉄と平行します。3850系(3900系かも)の神宮前行き特急とすれ違います。

  栄生の電留線には3400の姿も見えました。

  名鉄の本線をオーバークロス、西枇杷島駅を見て、稲沢駅へと急行阿蘇は走る。

 稲沢では稲沢機関区を眺め・・・・・・。D62やD50などと思われる機関車たちが居ります。

 D50201に見送られて、もう少し走れば、岐阜駅です。

  岐阜駅ですれ違った、上り列車のC59は実に洗練された美しい機関車です。実際、旅客用として純粋に設計された最後の蒸気機関車ですものね。
 岐阜駅を出れば、大垣駅は直ぐです。

  大垣駅にはキハ41551も居ました。樽見線用かしら?名古屋から先の電化工事は既に始まっておりましたが、大垣駅はまだこんな状態でした。

  C11の姿も見えました。この客車は何線を走るのだろうか?

  これは、大垣駅の外れで見かけた救援車。左がエ742、右がエ745です。長い板バネ、屋根上のランプ用の筒・・・・・。明治中頃の二軸客車 ・マッチ箱を改造したものらしい。まあ、よくこんなのが残ってたものです。

 大垣から下り線は、上り勾配対策の新垂井駅を通る線路を通ります。 下り線は単線です。やがて、関ヶ原駅の手前で上り線をオーバークロスして、関ヶ原駅の進入します。 このあたりでは、既に電化工事の電柱も並んでおりました。
 カメラの構えが斜めになってしまい、こんな余白のある画像になりました。


列車の前方を拡大してみました
機関車はC59のようです

  関が原から米原へ下り勾配、貨物用のD6211はダイナミック。当時の通信線の電柱は懐かしく、楽しい形です。

  色々有って、列車は無事に京都駅に滑り込みます。80系の急行電車が居りました。色がマルーンとベージュの塗分け、関西急電色で、いよいよ関西に来たんだなあの、実感でした。 18時30分頃の筈で、夏とは言え光線状態はかなり悪い。しかし、スローシャッターは切れず、かなり露出不足で、こんな写真になりました。

  いよいよ、素晴らしい電車たちの走る関西に来た。もう、嬉しくってうれしくって、堪りません。なんてったって始めての泊りがけの一人旅、未知の電車に乗れる!知らない街を歩ける!興奮コーフンの、 少年むーさんでありました。

 19時を回って大阪駅に到着した急行阿蘇から降り た私は、下りの国電に乗りまして、兄の住んでいる西宮駅まで参りました。駅からどういうコースで兄の居る、某 社の施設に着いたのか、記憶がありません。歩いて行くには遠すぎますのでタクシーに乗ったのかもしれません。
 まあ、無事に兄の所に到着。夕食を食べさせて貰ったんです。明日からは、みっちり電車に乗りまくりできます。

 この『東海道本線の旅 上・下巻』の作成に当たり、友人の「はーさん」、「MTさん」、「MOさん」から貴重なアドバイスを頂きました。ここに、御礼申し上げます。

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