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■■ 第四日は神戸から山陽電車 ■■
1954年8月14〜16日あたりと思われます

【 画像大型化版 】

2000.9.3製作
2010.5.8/加筆訂正と画像大型化

この日は何故か撮影枚数が異常に少ないのです
どうしたのでしょうか?
フィルムが無くなってきたのでセーブした訳でも無さそうだし、原因不明
素敵な被写体は、山ほど有った筈ですので今、考えても惜しい事をしました
西宮市は今津から阪神で三ノ宮、市電で兵庫駅前
山陽電車で舞子公園まで行って帰りは国鉄でした


 旅行の第四日 、関西圏での三日目です。数えてみると8月14日の筈ですが、雨降りの記憶もあるし、違うかもしれません。まあ、一日、二日ずれたって大勢に影響ないけれど・・・・・。
  住宅の間に残る田圃の中の道を歩いて今津駅に向かいます。質屋の『ひち』って看板、白っぽい土に関西を感じます。家並みの向こうから阪神電車の、ぴぃぃぽぽぽぉぉ〜と特徴のある警笛の連発が聞こえてきます。騒音問題 など、うるさくなかった時代ですから、踏み切りの多い地域は、警笛鳴らし放題です。そうそう、阪神の警笛は足踏みペダルでなく、手で操作してましたっけ、コントローラと制動弁の間に床から棒が延びてその先端のポッチを手のひらで押し下げていた記憶がありますが、確かではありません。
 最近の地図で見ると、今津駅は高架化され、同じく高架化された阪急の今津駅と、道路を挟んで、ほぼ直角になってますが、当時は50Rも無いように思える急カーブで、阪急が阪神に寄り添うように並んだ駅でした。線路も繋がっており、へへぇーっ!と思ったものです。
  駅前には阪急公設市場ってマーケットがあり、食料の買い物などは、ここへ買いに来たのです。お店の品ぞろえなど、書くと長くなるので書きませんが、東西の食文化の違いをはっきり感じました。いまは、全国平均化現象でそんなに違わないのではないかと思います が・・・・・。

 少々前置きが長くなりました。その阪神電車です。今津駅の西方に阪神国道って踏み切りがありました。名前がおかしいなあと兄に聞きましたら、阪神を結ぶ旧道の踏み切りなんだそうです。その踏切で 撮影した、881型905を先頭に梅田行の急行です。


「六甲颪に颯爽と・・・・・・」阪神電車急行の爆走

 電車部分だけ拡大してみました。前面の貫通ドアや開放した窓のところに、風と展望を求めて、大供&子供が立っています。

 今津駅から各駅停車に乗りまして西宮駅で急行に乗り換えます。西宮駅には、出来たばかりの特急用301が留置され、そのとき開かれていた甲子園の高校野球臨電の『ホームラン号』のサボをつけてました。やがて始まる阪神間ノンストップ25分運転 前の試用的運用なのでしょう。


ナンバーは3021

 後日、兄が送ってくれた、特急運転開始の記念乗車券の、表と裏です。下についていた乗車券部分はありませんが、当時の阪神電車の意気込みが伝わってきます。

 

 西宮駅からは急行です。なにしろ、オール電動車5連の高速運転ですから、早い早い、開け放った前面の窓( 上の905梅田行急行の写真の様に、阪神は片側運転台で最前部に立つ事が出来ました)から、猛烈に風が入り涼しいものです。小さな駅は、駅名も読めないスピードで、踏み潰すみたいな迫力で、通過して行きます。もう私は興奮しっぱなしです。
  踏み切りの施設、警備は完璧に感じました。物凄く小さい踏切にも、音だけの警報機がつく丁寧さでした。 踏切警手のいる踏切では、安全確認の白旗が振られ、急行電車の前から見ていると遠くのほうまで、白旗がズラリと出て打ち振られ、壮観でした。夜はこれが、紐でぶら下げた合図灯を揺らしていたと記憶します。

 芦屋川の上の芦屋駅、高架の追い越し御影駅、そして岩屋からは地下線となり、おっそろしく幅の狭い島式ホームの春日野道駅も遠慮なくぶっ飛ばし地下の三宮駅に到着しました。

  地上に出ればそごう百貨店。そして、市電はグリーンとベージュのおしゃれな色のスマートな700を始め色々とやって来ます。残念ですが、三宮では一枚も写していないのです。やがて、やって来た兵庫行(かな??)の 700形712に乗って、山陽電車のターミナル兵庫駅まで参ります。

 市電700はまさに市街電車の女王に見えました。 偶然選んだ、このアングルが700を一番美しく見せる様でもあります。バックの架線柱もアングルを組んだ鉄柱で、かっこ良いですね。

 なにやら妙なものが見えますので、712の前の部分を拡大してみました。よくよく見ると、電車の向こう側に、なんと「お馬」の頭から前足部分までが写っています。昭和29年、荷馬車も未だ残っていた時代なのですね。ルノー4CVも懐かしいクルマです。

  山陽電車のターミナル、兵庫駅はいかにも戦災復興という雰囲気だった様に覚えて居ります。ここから、出発するとき、兄から貰ったお小遣いで行ける所まで行こうと、 舞子公園までの切符を買いました。何処行きのどんな運用だったか、形式だったか、覚えていませんが、電車に乗りました。
 イキナリ路面、併用軌道です。長田駅から専用軌道になるのですが、そこで市電と平面交差という念の入れようで驚愕したものです。

 乗ったのは各停だったらしく、 特急に抜かれました。左に見える看板と、待避線があると云う事で、電鉄垂水駅と思われます。電車は850形で、転換クロスシートを備えて居たそうです。

 途中、記憶も無いまま、舞子公園に着きました。ここで下車。特徴ある各駅停車運用の200がやって来ました。 『変な電車だな〜』と思ったんですが、今、じっくり見直してみると悪くないですね。デビュー時のようにポール集電も似合いそうです。

 舞子公園駅と国鉄の舞子駅とは近かったので、帰りは国電利用です。全く記憶も記録も無いままに西宮駅に戻りました。 ホームからの、山側の眺めです。入替用の超小型機関車も居て、背景の住宅はクラシック。それから、56年、今の西宮駅周辺はどんな具合なんでしょうか。

 やって来た急電は80系でなく3扉車で構成されてましたが、これもまた良いものです。

 国鉄の西宮駅から、兄の下宿に戻ったはずですが、歩いたのか、阪神国道線だったか・・・・・ともかく、無事にベースキャンプに帰着いたしました。

 この日、これでお仕舞いで、次の日の 『関西電車探検』は、大阪市電と南海電車上町線です。

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