■■ 冬の八高線:1970年2月 ■■
(1970年2月1日)
1970年・昭和45年の2月1日・日曜日は、フィルムを見ると良いお天気だったようですが、前年、1969年に、やっとの思いで導入したスバルR−2・・・・フロントは
、あまり格好が良いとは言えませんでしたが、お尻の丸みが大のお気に入りだった・・・・に、当時3歳になったばかりの長男を乗せて、ドライブです。
今日の目的地は、埼玉県の国鉄八高線、明覚駅から、その先、寄居駅の手前、折原駅あたりまで。
、町田を後にして、北上。たしか、武蔵小金井の踏切を渡り、清瀬を通って
行った記憶がありますが判然としません。
途中で、八高線の見所をご案内くださる友人のTSさんを乗せ、何故か、川越線武蔵高萩駅。たぶん、近くにあった航空士官学校の関係と聞いた貴賓室があると聞いて、見に行ったのでしょう。
(1)
武蔵高萩駅・・・・流石は貴賓室つき、辺鄙なローカル駅の駅舎ではなく、平屋ですが立派な駅舎が有りました。まだ、気動車が往き来していた川越線。貨物列車は9600牽引だったような記憶もあります。駅前で、息子を立たせ、車と一緒に記念撮影。勿論、駅の内部を見学させて下さるわけもありませんが・・・・・。
残念ながら改築されて、橋上駅化されたとの事です。(部分的に保存されたらしいですが・・・・具体的なことは分かりません)
TSさんのご案内で到着したのは、明覚駅から小川町方面へ、都幾川の橋梁を渡り、丘陵の間を左カーブして、県道の踏切を渡る。その辺りです。高崎方面へ向う貨物列車が来ました。
(2)
丘の向こうから現れた、C586牽引の貨物列車。高麗川や秩父のセメント会社の関係でしょうか、ホッパ貨車で構成された短い列車で、原料と製品の輸送用なのでしょう。
(3) 段々近づいてくる列車・・・・・・。
(4) 目の前を、右から左へ通り過ぎる列車は小川町方面へ・・・・・。
(5) あたりには、桑畑と麦畑が広がっておりました。
(6)
畑と低い山、小ぢんまりした集落・・・・・長閑な風景の中を遠ざかった行く小編成の貨物列車。桑畑が広がっていると言う事は、お蚕さんですが、この辺り、今でも養蚕は行われているのでしょうか?・・・・
・そして、今でも桑畑はあるのでしょうか?
場面は変わり、これは「越生駅〜明覚
駅間」。明覚駅方面から貨物列車が来ました。
(7) 向こうのカーブから現れた列車。牽機はD51703。
(8) なだらかな上り勾配のようですが、列車は軽そうだし、蒸気機関車の力強さを感じる走りでは無いのですが、これはこれで、辺りの風景に溶け込んだ眺めです。
(9) 益々近づいてくる・・・・・。
(10) こういう列車風景を日常的に見られるのも、じきに終わる・・・・・そんな時代でした。
(11) 雑木林の丘陵地に入ってゆく列車。
(12)
この列車、後の方には、石灰石でしょうか、白いものの詰まれたホッパ車が数台、つながっておりました。葉の落ちた楢の木が繁った、越生方面に列車は消えてゆきました。
こんどは、小川町
〜明覚駅間。線路に平行した県道から、線路の方に入った畦道から撮りました。
(13)
小川町方面から上りの貨物列車が現れました。ホッパを何両か牽いて、当時としては新しいディーゼル機関車、DE10538。エンジンルームを後部にしたDE10が、とても格好良いものに見えました。いまでも、DE10をこの角度で見た姿が好きです。
(14) なだらかな勾配を上って明覚方面へ・・・・・。
(15) DE10は、6両のホッパ車を牽引して視界から去って行きました。
私たちは、小川町を抜け、竹沢駅前を通り、寄居側から折原駅に回りこみます。折原駅と竹沢駅の間の峠越えを狙います。すこし撮影場所を変えて、やって来る筈の貨物列車を待つ・・・・。
(16) 折原駅方面からD51140に牽かれて貨物列車が来ました。黒煙が上がっているのは良いのですが、追い風で・・・・こんな写真になりました。
田圃の畦の白いものは画像処理で飛んでしまった部分で、雪ではありません。
(17) 機関車が目前を通り過ぎる。
(18)
列車は折原・小川町方面に勾配を上って行きました。線路に沿ったささやかな通信線・・・・・良いですね。そして、小高い山の上には、三相一系統だけの、細身の高圧線鉄塔が立って居りますが、この鉄塔、、華奢な体で電気の輸送に必死で頑張っているように見えて、私は好きです。最近は、電圧が上がったからでしょうか、見かけなくなったような気がします。
冬枯れの雑木林、よく手入れされた桑畑、そして麦畑・・・・・昭和中頃の日本の風景。富んではいなかったけれど、皆、将来の繁栄を夢見て頑張っていた、しかも、まだ、ゆっくりと・・・・。そんな時代の八高線風景でした。
製作: 2011年1月15日