■■ 小田急・相武台前2号踏切:1965年4月 ■■
1965年4月撮影の4駒の写真
・・・・小田急の電車の写っている・・・・があります。
小田急の相武台前駅から小田原方面へ二つ目の踏切、相武台前2号踏切で写した電車です。別の駒には、なぜか、その踏切で写した、家内と私の写真もありました。二人とも、きちんとした身なりで、なにかのイベントの帰りらしいんですが、完全に如何いう状況か記憶が全くありません。まあ、1965年4月、46年も昔なんですから、憶えて無くても不思議は無いですが・・・・・。
そんな電車たち・・・・現代の同じ場所で2011年2月5日撮影の写真とともに、ご覧下さい。
なお、白黒写真が1965年4月撮影、カラー写真が2011年2月5日撮影です。
2011年2月5日、11時40分頃、相武台前2号踏切に、私は到着しました。こんな感じの、普通の警報機、遮断機つきの踏切です。この写真の左方向250m程の所に相武台前駅があるのです。
では、1965年の相武台前2号踏切にご案内いたしましょう!!!
相武台前を出た小田原行きの快速準急、クハ2450+デハ2400+デハ2400+クハ2450の4両編成で、当時の代表的通勤車です。色は窓周りが黄色っぽいクリームで、腰板と幕板が濃いブルーでありました。
現代の画像を見ると、線路の左右にかなりの建物が建ち、架線柱も建て直されています。相武台前駅の配線が変わったのでしょう、信号機も増えております。
折角なので、「High Economical」・・・・HE車と言われた2400系を部分拡大でご覧下さい。左奥に写っている荷電は、当時はデユニ1000形と呼ばれていたらしい。
次は特急ロマンスカーSE車3000系。御殿場線乗り入れの5車体SSE車に改造される前の、8車体連接。
同じ位置に、EXE−30000系ロマンスカーが入るように撮ってみました。
SE車の部分を拡大してみます。右手奥の広告塔のようなものは、自動車学校「都南自動車教習所」のもので、現在も、踏切からは見えませんが、当時の場所にあります。
上り快速準急新宿行がすれ違いました・・・・・・。
現在の特急ロマンスカーMSE−60000系を、上の2400系の場所に入れてみました。
HE車2400系、クハ2450形のお顔をご覧下さい。斜めから射す日の影で、貫通ドアのハンドレールの凝った形が分かります。
特急ロマンスカーを追って写します。特急のネームは「きんとき」。当時は箱根の山に関する名称が多く付けられておりました。
同じ場所に、特急はこねを入れて写しました。上の、SE車の後、初めての展望室つきNSE−3100系が加わり、その後に現れたのが、このLSE−7000系です。線路の左右は家が建ち並び、1965年の写真の風景が信じられませんね。
SE車・3000系の部分をクロースアップ。5車体連接に改造されたSSE−3000系は少しお顔が変わりました。
SE車の左側は、畑が広がっています。奥の方は桑畑に見えます。いまでは、想像も出来ない風景でした。
最後に、SE車の顔の部分の拡大写真をご覧下さい。カーブの具合が、中々結構ではありませんか!!
小田急・相武台前2号踏切・・・・・1965年と2011年の画像を対比させてご覧頂きました。
製作: 2011年2月XX日