2001年4月25日から短期間公開したのですが
サーバーの容量などの理由で、じきに引っ込めて仕舞いました
2011年6月24日、画像の大型化ほか手を加え、再公開
■■ 軽井沢駅:1964年1月4日 ■■
1964年・昭和39年といえば東京オリンピックの年ですが、その年のお正月・1月3日に、家内と一緒に私の実家に新年の挨拶に行ったのです。いろいろ話などしているうちに、なぜか、これから山の温泉に行こうということになりました。
早速、その場で、草軽電鉄を訪問した時から気になっていた、浅間山麓の小瀬温泉に電話を入れましたら、部屋は空いてるとのこと、直ぐに出発です。
上野から各駅停車・・・・勿論、電気機関車牽引の客車列車・・・・で、軽井沢まで行き、そこからはバス利用で小瀬温泉に行きまして、温泉に入り、その夜はそこに泊りました。細かいシチュエーションは殆ど忘れてしまいましたが、まあ、こんなところです。
あくる日、朝には旅館を出て、バスで軽井沢駅に戻りまして、各駅停車に乗って東京に戻って来ました。
各停の汽車に乗って、温泉に泊って、また各停の汽車で帰るだけなんて、当時の普通の人から見たら、随分へんな旅行をしたものです。
その帰路の軽井沢駅ですが・・・・・・・・・ここで、家内には一寸待ってもらって、写真を撮っていますので、それを御覧に入れます。短い時間なので、たいしたものは有りませんが、それでも、今、改めて見て 見ると、いいものが写っております。たしか横川〜軽井沢間のアプトが廃止されたのが昭和38年の夏だったので、粘着運転になってから半年くらいしか経っていなかったはずです。
信越本線の横川駅〜軽井沢駅間は、この前年、1963年7月15日、粘着運転の別線が単線で使用開始。同年9月30日、アプト式区間が廃止されました。
そして、1963年10月1日から、粘着運転の新線が複線で本格的に使用が開始されました。アプト式区間が廃止されるまでは、80系電車使用の「準急 軽井沢」のみが、粘着新線経由で運転されたそうです。
国鉄信越本線軽井沢駅・・・・
ホームに入ると上野行き各駅停車2324列車が入っていました。
でも、機関車はEF628だけでしかもパンタが降りていました。
足元には、未だ撤去されていないサードレールが見えておりますたしかこの列車に乗って東京に戻った筈なのですが、
全然、覚えていないのです
サードレール部分を拡大してみました。
各地の地下鉄でお馴染み、一般的な『上面接触方式』の『集電靴』による集電ではなく、サードレールの下側を集電靴で擦る『下面接触方式』でした。
下面接触方式は、積雪対策と思われます。
上り列車の補機として待機中のEF6312とEF63××、
出来たての新品って感じでした。
上り第二信州の到着を待って居ります
長野方面より、上り急行第二信州の165系が入ってきます。・・・・
バックの山は離山。このころは、165系電車8両で運転されて居ましたが、やがて、EF63との協調運転が出来る169系12両編成に置き換えられました。
待機していた補機が上野側に付きました。急行・
第二信州は満員。
上り急行『第二信州』が発車、上野に向かいます。
ここにも第三軌条が見えます。
先ほどの上り各停2324列車のEF628の前にEF6311+EF63××の補機が付きました。
発車の準備が完了です。
下り特急『白鳥』2003Dが到着、発車して行きました。
キハ82は、カーブドガラスの運転台、おでこに二つ付いたヘッドライト、
もう惚れ惚れするようなスタイルでした。
そして、上り普通列車の2324列車で東京に戻りましたが、まあ、綺麗さっぱり、なんにも覚えてないんですね。いや、ほんとに撮影メモの必要性を実感します。若い鉄道ファンの皆様も、撮影メモと、旅行日記はお忘れなく。
50年ちかく経ったら完全に忘れます!
謝辞: 畏友、はーさん、MTさんに、横川駅〜軽井沢駅間の車両と運転につき、多くのアドバイスを頂きました。ここに、御礼申し上げます。
はーさんのホームページに、1987年の碓氷峠の画像が展示されて居ります
粘着運転も23年が経過し、こんなに変わりました
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2011.06.24 復活・更新