■■ 初乗り:東海道新幹線1965年 ■■
(1965年・昭和40年7月18日・日曜日)
まあ、月日の経つのが早いこと早い事!!
あの新幹線だって、1964年・昭和39年の10月1日
発車式の現場を見物に行ったのを、覚えているけれど
もう、50年近い年月が流れています
この1964年の春だったか夏だったかに、当時としてはかなり無理して車を買いました。勿論中古、スバル360
・1962年式スーパーデラックスで薄いブルー、手形を何枚も切って、たしか、24万円だったかな?良い車でした。姿かたちもいいし、よく走りました。お蔭さんで、それ以来、中断はありましたが、ずっと他社製品には眼もくれず富士重工スバルを
愛用して居ります。
そのスバル360が購入一年目、1965年、不調となりました。走行中にシフトレバーがニュートラルになっちゃう、急に、熱が冷めまして、売っちゃおうという事になりました。近所の業者に持ち込んで、売っちゃいました。まあ、子供は居ないし、ドライブ用の贅沢品でしたから、それでよかったのしょう。でも、転がり込んだ、わたし的には大金で如何しましょう。
カメラを買いました。特売の型落ちですが、ミノルタSR−1、交換レンズも買いました。35mm/F4と、100mm/F4、手動のプリセット絞りのローコスト製品です。そして、旅行をしようということになりました。
家内と二人で、大阪へ。勿論、話題の東海道新幹線の日帰り旅行です。要するに、新幹線に乗りに行ったってわけです。ついでに、名神高速道路のバスにも乗っちゃいましょう。
そんなカラースライドがあります。フジカラーのリバーサル、ASA100。いろいろと写っているのですが、ろくな写真が無い。しかも、窓からの写真ばっかりで、面白くも有りません。輪を掛けて退色も著しい。そんな中から、何枚かお目に掛けたいと思い ます。
■■ 初乗り:東海道新幹線1965 年 ■■
1965年・昭和40年7月18日・日曜日、
一番のこだま号・・・・ひかり号は買えなかったので、たしか二番の列車、6時30分発のこだま号・・・・に乗ろうと、指定券を買って、前の晩から東京都区内の親戚に泊まらせてもらい、早朝の東京駅に出かけてゆきました。家内と二人
の、大袈裟なスタートでした。この頃の新幹線列車は超特急「ひかり」と特急「こだま」が、一時間に各一本発車するダイヤになっていました。
(1) 出発前の
新幹線・・・・19番線ですから、ひかり号かもしれませんが、写真だけ撮って乗らなかったということも考えられます。何しろ、記憶が殆ど無い状態でありながら、「ひかりの席が取れず、こだまに乗った」という記憶だけがあるのです。
新幹線電車の最後尾で記念撮影。光前頭も機能していた頃のお話で、ぼんやり光っています。
(2) もう、名古屋に到着です。雨の名古屋駅。大名古屋ビルヂング、旧名古屋駅本屋が見えて、上り列車も居ます。
(3) 名古屋駅・・・関西本線でしょうか、C57らしい機関車が、客車を引いて停まって居りました。
(4) 関が原越えの勾配をぐんぐん登ってゆきます。
(5) 米原です。EF58の引く列車は何でしょう?スハフ42には、急行らしいプレートが差し込まれています。機関車はグリーン仕様らしいけれど、退色で眼も当てられません。いろいろ頑張ってみましたが、私の技術では修正不能でした。 すれ違い列車を、ほぼマトモに撮っているのですから、「こだま号」だった確率大ですね。
(6) 米原駅を出て新大阪に向かいます。貨物操車場風景・・・・D50かな?
(7) 車窓から鳥飼の基地を撮っています。当時は「0系」なんて言わなかった新幹線の電車が並んでいます。
(8) 新大阪駅に到着しました。すかさず記念写真。弱冠27歳の私が写っています。時計でも写っていれば、『こだま』か『ひかり』か区別が付くわけですが・・・・・。
新大阪に着きました。昼食はとらなかったのでしょうか。外へ出て、今度は高速バスで名神高速道路を通って、名古屋へ行きましょう。私の、こんな発想パターンは未だに残っていますね。家内は、こんな旅行に良くぞ付き合ってくれたもので、感謝です。
(9) 新大阪駅の外へ出ました。これからバスに乗ります。『高速バス』ってものに馴染みが無かったので、乗っても居ないバスを撮っています。『日本高速バス』・・・・なんだか随分、大袈裟なお顔です。
私たちは、後ろに写っているバス・・・・・『日本急行バス』の急行・名古屋行に乗車しました。
(10) 新大阪駅を出た『日本急行バス』は、普通の道を走ります。阪急電車の踏切でストップ。いいタイミングで、阪急1600が来ました。『大阪・急・XX』(XX=読めない=二文字 ・・・たぶん京都)のヘッドマークをつけています。1600というと、デイ100の電動機利用の京都線用電車と聞きます。この踏切、阪急京都線 の南方駅西方の踏み切りのようです。バスは、さらに十三を通り、豊中のインターチェンジから名神高速道路に入りました。
(11) 名神高速道路です。どの辺りなのでしょう、快適に走っています。雨も上がっているようですね。前を走っているのは、トヨタ800なのでしょう。この丸っこさは、たぶん・・・・・。
(12) インターチェンジを下まで降りてバス停でした。地図を見ると、どうやら彦根ICのバスストップのようです。時間調整だったか、トイレ休憩だったか忘れちゃいましたが、
車外へ出られましたので、乗ってきたバスを撮影する。色は、こんな色じゃあなかった気もするのですが・・・・。
日野のバスといえばアンダーフロアの都バスってのが私の印象でした。これは、リアエンジンみたいです。横っ腹の鎧戸はエアコン機器でしょうか。
(13) これは、何処でしょう・・・・関が原の下りではなかろうかと・・・・・ここは、雨。
(14) 関が原を下り切って、新幹線を岐阜羽島あたりでアンダークロスする。30分に一本(上下平均だと15分か・・・・)の新幹線列車が来ました。何と言うラッキー!!!
(15) 新幹線を右に見て、やがて木曽川の橋梁に差し掛かってゆきます。
やがてバスは名古屋に到着しました。何処かで高速道路を出て、みんな忘れちゃった経路で名古屋駅近くのバスターミナルに着いたのです。
(16) ここが、名古屋の終点でした。なんだか殺風景な場所です。バスの方向幕は「急行・名古屋 笹島高速センター」、写真も右端に「笹島高・・・・」の赤文字の看板が見えますから、ここが高速センターなのでしょう。バックのビルには住友銀行、更に先のビルの屋上には『名』の字だけが見えています。現在の巨大なバスセンターが出来る前だったのでしょう。
それにしても地面が舗装されておりませんね。『仮施設』だったのかもしれません。
バスのサイドの文字は「日本急行バス・名古屋⇔京都・大阪・神戸」とあります。ガイドさんというか車掌さんも乗務していたのでしょうか、それらしき制服の女性が車内に居ます。今から見るとクラシックないでたちです。
(17) お昼御飯はどうしたのでしょう。名古屋に着いてからだと思われますが、今なら必ず撮る『お食事写真』がありません。まあ、良いんですが・・・・。
帰りの新幹線の指定券は買っていませんでした。そこで、自由席なのですが、具合のいい事に、東京行・名古屋始発の臨時こだま号がありまして、それに乗る事にしました。多分、新横浜乗り換えの横浜線・原町田駅のコースにしたと思われます。
新幹線のホームからは在来線が見えます。湘南電車80系とキハ58が見えています。
(18) 自由席ですから並ばねばなりません。何分待ったか判りませんが、16時00分発の臨時便。表示板の時計は15時18分を指しております。列の先頭に居るのが私・・・・若い若い!70歳代半ばの今の私から見ると、まるで子供ですね。(孫って事もアリかと・・・・・笑)
(19) 豊橋・・・・おおおお!!名鉄パノラマカーだっ!!80系湘南電車もちょっとお顔が見えています。
(20) 浜名湖近辺のウナギ養殖池・・・・在来線当時から好きな眺めでした。こんな眺めを覚えているので、現在のこの辺りの風景は、非常に寂しく思えるのです。池には満々と水が入り、水車が勢いよく回って居りました。大井川河口の吉田にも、こういう施設が沢山ありましたが、いまは如何なったのでしょう。スーパーに並んでいるのは、殆どが輸入鰻なので・・・・。
(21) やはり浜名湖近辺。手前には蓮池、その先が鰻池、さらに左遠方には鋸の歯状の屋根を持った工場らしきものが見えます。昔の工場って、ギザギザ屋根が普通でしたので、いまこの写真を見ていると滅茶苦茶懐かしく感じます。
そんなこんなで、無事に帰宅・・・・したんだろうと思います。新大阪の駅前から高速バスに乗っちゃったので、大阪にどの位居たでしょうか、新幹線と高速道路の旅でありました。いまでも、こんな旅も良いかなあ!などと思う私です。
新幹線こだま号を新横浜で降りて横浜線で、家のある町田市へ帰ったと考えるのが順当でしょうが、私の事ですから、東京駅まで行っちゃったと言う事もあるかもしれません。
( 製作:2012年5月25日 )
謝辞: 『(10)の阪急電車の踏切の場所同定』に関し、2008年2月、この稿をブログ「お出かけ通信:blog版」に発表した際に、いろいろとお教え下さった、ブログ読者の皆様方に御礼申し上げます。