■■ 常総筑波鉄道・取手駅:1958年12月14日 ■■
(2000・2・17更新)

昭和33年12月14日、鹿島参宮鉄道・龍ヶ崎線を訪問した帰り道、常磐線の取手駅で常総筑波鉄道を、ちょっと覗いて見ようと、途中下車しました。

時間がとれなかったので、試乗は出来ませんでしたが、取手駅ホームでの気動車や、構内に留置中の客車・貨車・機関車を撮影しました。
当時の取手駅は、今の風景と重ね合わせるのが困難なくらい、鄙びたローカル駅だったのです。当時は、東京を一寸離れると、何処の私鉄にどんな車両が居るかなんて情報もロクにありませんでした。その為、思わぬ古典車・珍車にお目にかかったときの喜び・驚きは大変なものでした。ここ、常総筑波鉄道もそうでした。気動車も素晴らしかったけれど、朝の通勤列車に使ったのかと思われる、客車たち、古い木造の貨車、ロッド駆動式のディーゼル機関車、その向うに見える水槽など、感激の時間を持てました。また、ゆっくり乗りに来ようと思いながら、常磐線の上り列車に(何に乗ったか、国電だったか、列車だったかの記憶が全く欠落して、記録・メモの重要性を痛感です)乗り家に向かいました。

残念な事に、再訪・試乗の希望は今に至っても、未だ果たされておりません。

◆ 教訓 ◆ 第2のチャンスは期待してはいけない。その場で全記録をとろう!

車両の近代化、大規模な複線化など、近いうちに見に行こうと思って居ります。

キハ83です。次位の気動車は、ほぼ同クラスですが、ナンバー不明記録はありません。車高・窓数・床下ステップ部の車体などかなり違いますが、雨どいの形はそっくりです。

右側が上野方で、すぐに利根川の鉄橋になります。

オハ803(多分)、ネガのシャープさ不足で読み取れません。803は間違いないのですが、オハかナハか良く見えないのです。この3両の客車の両端にワブをつけています。こういう編成も面白いです。

オハ801で、このナンバーはちゃんと読み取れました。車体中央にあったドアを埋めた形跡があります。床下のトラス棒、TR−11型の台車たあわせて、元は、どんな車だったんだろうと考え込んでしまいます。

多分(又々多分ですみません)ホハ401(ナハかオハとも判読できるけど)客車です。2重屋根の木造車で台枠丸見え、トラス棒、三つずつに区切られた中覚めの窓、それも2段上昇窓です。

木造のいいワブですね。車高の低いのも何となくローカルっぽくてよろしい。木造貨車が並び、後ろの丘陵の木立とあわせて、『昔風景』してます。

ワブ303.手荷物車ときました。私は木造の有蓋車のなかでも、このタイプ(板を縦に並べ、扉の上には覆いが付いている)が好きで、私鉄の有蓋車に多かったような気がします。昭和29年ごろ山手線の大崎駅で見かけた国鉄のワフ600型を思い出します。廃車寸前で屋根は中央が垂れ下がり、別の見方をすると実にいい感じでしたが。

プラットホームから見たキハ83です。いかにも地方の私鉄って雰囲気で左下の尾灯(赤のリング付き)も良いアクセントです。

B−B型のディーゼル機関車は、これまたナンバー不明。DD501とも読めるけれど、判らない。ロッド式ですが車体の作りは当時としては割りと新しい車なので未だ生きてるかも。
無蓋緩急車のトフ6は、妻部の窓が良いでしょう?背後の水槽は蒸気機関車の在籍を思わせますが、当時、蒸機は居たのでしょうか?