■ 西大寺鉄道1958年 ■
1958(昭和33)年8月18日
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(更新:2003年8月3日)
1958年の8月18日、前夜、20時30分発の急行『筑紫』で東京を発って、殆ど眠れぬままに
午前中に岡山に到着しました
・・・・・・で、国鉄岡山駅前から路面電車で名園と言われる後楽園に向かいました
今日は西大寺鉄道に初乗りです
ここ西大寺鉄道は軌間914o3フィートで、当時、日本唯一でした。
国鉄岡山駅から岡山電軌の電車を乗り継いで、なんとか云う停留所から、暑い日差しの中を歩く。後楽園の前の橋を渡った所に後楽園駅が、ひっそりと有りました。
1958年当時ノートに書いた西大寺鉄道の岡山市のターミナル、後楽園駅初対面の印象です。
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西大寺の思い出
市内電車のワンマンカーと云えば聞こえはいいがうすぎたない単車からジャリだらけの道へ降りた僕はすぐそばの電車通りと直角の道へ入って行った。やがて橋がありそれを渡ると正面が音に聞こえた岡山後楽園だった。 |
40円の、終点で車庫があると聞く、西大寺市駅までの切符を買って、後楽園駅の中に入ると2軸ボギーの荷台付きの気動車が静かにアイドリングしていました。キハ6です。これに乗車して終点の西大寺まで行ったのです。

1958年当時のノートに記録してあった後楽園駅の線路配置です
文字が読みにくいですがご勘弁ください
書き直すよりも、当時の気持ちの入ってる図の方がよさそうなので・・・・
キハ6は、11時00分に発車しました。途中の沿線風景とか、殆ど記憶しておりません。ただ一つ、当時愛読していた内田百閧艪ゥりの百間川と、国鉄西大寺駅に隣接する財田(さいでん)駅の記憶がおぼろげながらあるばかり。
その財田駅に気動車キハ6は進入して行きます。

左側が国鉄の西大寺駅で、貨物ホームの屋根が写っております。左側2本の側線には、有蓋車1両と、無蓋車2両が停めてあります。

当時、既に廃車だった?有蓋緩急車で、形式は、たしかワカボなんとか
ナンバーは消えており、
かなり傷んでおりましたが
なかなか良い味です
向こう側は国鉄の貨物扱い施設で、ここから西大寺鉄道との
貨物の受渡をしたのでしょう

無蓋車2両、右側はトボ11、左側がトボ7です
右の建物は国鉄西大寺駅の荷扱い施設
その先は、完全に忘却。まあ、無事に西大寺
市駅に着きました。

これまた、見難い図で御免なさい
左側が後楽園方面です
西大寺駅市駅のプラットフォームの先が広い車庫につながっていましたので、早速駅の方にお断りして、車庫の方に歩きました。2軸ボギー、モニタ屋根、オープンデッキの可愛い木造客車がぞろぞろいます。お目当ての2軸単車・単端式の気動車のキハ3やキハ10もいます。暫くは初めて会えた車両たちを眺めていました。

2両の単端式の気動車
左側がキハ10、右側がキハ3
キハ10はボギーの気動車を二つに切って2軸にした改造と聞きました

実に良い味のオープンデッキ木造客車
左から、ハボ4、ハボ7、ハボ11
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キハ3&キハ10、そして客車の拡大写真です
キハ3の車内写真も・・・・・
一応、写真も撮り終えて、西大寺
市駅ホームに戻り、停まっていたキハ7を撮影。

西大寺市駅のホームに留置されていたキハ7
一時期流行った「流線型」です
荷台がついて面白い顔になりました
そして、乗って来た時と同じキハ6で、岡山の後楽園駅に戻りました。
13時頃でした。後楽園駅でのシーンです。
キハ6が客車を入換中。車掌さんの背丈と客車の高さを較べてください。向う側が西大寺
市方面。

キハ6です。右のホームは幅が狭いので使いにくそうですが、その右側にさらに一本線路があります。西大寺のお祭りとかのイベント時に使ったのでしょう。右側のお屋敷の塀がいいですね。

空はすっかり曇って、一雨きそうな気配です。折角、ここまで来たのですから、話の種にと、入場料20円の名園「後楽園」を暑い中で見物し
ました。なかなか結構な庭園。
後楽園を出て電車の停留所まで歩く。でも、電停まであと100メートルというところで雨。バス停が近くにありましたので、そのあたりの店先で雨宿り。やってきたバスで国鉄岡山駅に戻り、岡山は終わりました。
雨の宇野線を汗まみれの開襟シャツを乾かしながら、宇野に向かう。途中、下津井電鉄に寄るつもりが、この雨。茶屋町駅下車を中止にしたのが、今になってみると、惜しいことをしたと、悔やまれます。
1958年と言えば私は大学の3年生で
夏休みの前半は電気計測関係の会社でバイト、後半はそのオカネで鉄道旅行やアンプ製作をしたものです
その頃から鉄道は何故か軽便鉄道が好きでした
特に山陽地区は沿線の家屋の造りも好みでしたので、鉄道風景としても、お気に入りでした
下津井電鉄、井笠鉄道なども好きでしたが、下津井は1回、井笠は2回訪問したっきり、惜しい事をしました
この、西大寺も、このとき訪問しただけなんです
山陽地区には、良い軽便がたくさん有りました
鞆鉄道は昭和29年、赤穂鉄道は昭和26年に、既に廃止されて居ましたが・・・・・・