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 遠州鉄道奥山線1954 年4月 ■
(1999・11・14更新)


(更新:2003年8月6日)

1954年(昭和29年)私が高校の1年から2年生になる春休みの4月
両親と浜松市に居た親戚の家に遊びに行った時のことです
当時のことですから、東海道も在来線しかない時代
多分、東京から浜松までは
EF56〜58が引き、スハ32とかオハ35なんかを連ねた各駅停車で行った筈です


 浜松駅からはバスで親戚の家に行ったのですが、そこに到着する前に、先ずは腹ごしらえと蕎麦屋に入り、カツ丼を注文。出てきたのは、卵とじのトンカツの乗ったカツ丼でなく、丼に盛ったご飯にトンカツが乗っかってるだけと言うヤツでした。これは、カルチャーショックでした。

 さて、親戚の家です。庭の前が線路!よーく見ると、なんと、ゲージが狭いのです。ナローと言うものを草軽電鉄くらいしか知らなかったので、やったら珍しくって、大喜びした記憶が有ります。このあたりから、ナローゲージ鉄道・軽便鉄道に、のめりこんで行ったみたいです。


 曳馬野ゆきのモハ1001と客車。ここの車は草軽と違ってアサガオ型の連結器ではなく、自動連結器で、ブレーキホースもあって、随分進んでるなあと思いました。この電車を見て何だか草軽電鉄の電車に似ているなあと、思いました。

 名残(ナゴリと読みます。名残町だったかも)の駅から東田町ゆき電車がゆるい坂道を下って来ました。後ろの森は多分お寺で線路がわに煉瓦塀が続いていたような。電車は1003です。
( 読者のIKさんからメールがあり、後ろの森は『三社神社』という神社なのだそうです 。有難う御座いました。)


 この日は、私一人、親戚の家から出かけて豊橋の知り合いに会いに行くために浜松駅に出て、豊橋に向かったのです。
 その時、浜松市内、名残町の親戚宅から、遠鉄の線路を歩きました。名残〜広沢のトンネルを歩いて抜け、広沢駅から浜松の遠鉄奥山線のターミナル、東田町駅まで乗車したのです。

 広沢のトンネルを曳馬野ゆきの電車が出てきました。当時ナ私の印象では「浜松って煉瓦構築物が多いなあ」でした。後になってこのトンネルは遊歩道になったと本で読みました。

 トンネルを歩いて抜けると直ぐに広沢駅があり、ここから、東田町行きの電車に乗りました。ご覧の1003です。小さな車体にでっかいパンタグラフは実に格好よかったです。

 次の駅が元城駅で車庫・工場が有りました。ホームの脇に電車・客車が留置されていました。のちに(大学生になってから)この工場を訪問して車両のデータなどを教えていただくことになるのです。


左の車庫の中には気動車キハ1801がいます

 終点の東田町駅です。ここで電動車 を列車の最前部に付け替えます。これも、当時の私には珍しい風景でした。東田町駅は国鉄の駅からかなり離れた不便な所に有りました。駅舎も戦災復旧の粗末なものだった記憶です。


東田町駅の配線略図/西鹿島へゆく電車が奥山線をかすめてゆきます
(当時のノートから・・・・字が下手ですね〜^_^)

 暗くなった東海道本線を客車列車の各駅停車に乗って豊橋まで行き、名鉄電車で国府駅まで行きました。ここに知り合いの家があるのです。
 窓が大きな2ドア・クロスシートのモ3850で、関東では見られないタイプに大感激でした。

 遅れ馳せながら、遠州鉄道奥山線は東田町〜曳馬野〜奥山を結んだ軌間762oの路線で、東田町〜曳馬野間が電化、それから先は気動車運転でした。当然、昔は蒸気機関車牽引でした。
 親戚の人が、坂道を乗客が後押しした昔話を聞かせてくれました。


 友人、はーさんのホームページに
1964年の遠州鉄道奥山線の記事があります
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