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■■ 駿遠線こぼれ話 第一話 ■■
浜岡町駅前商店
ここに1枚の古い写真があります。それには昭和39年に廃止された浜岡町の駅舎と、そこに停まる古い気動車、キハD5形が写っています。この写真の奥の方に写っている民家で、Aさんがお店をやっていました。浜岡町駅前商店です。そこでいくつかのお話をうかがいました。
Bさん) 駿遠線が昭和23年に開業したとき、Aさんの家の近くに駅ができました。その当時はどんな状況でしたか?
Aさん) このあたりの人はみんな歩いて三俣や地頭方の方に行っていました。軽便鉄道ができても、まだ歩く人がいました。反対に池高(池新田高校)に通う生徒さんたちが、三俣方面から大勢軽便鉄道に乗ってやって来ました。
Bさん) 駅の様子や駅員さんの仕事はどんな具合でしたか?
Aさん) いつも駅員さんがいて、キップを売ったり手荷物を受け付けたり、一人で忙しそうでした。毎日休みも無く、朝早くから夜遅くまで、ずっと仕事をしていました。駅のあったこのあたりは元々寂しい所でしたが、軽便鉄道の終列車が行ってしまうとますます寂しくなったことを覚えています。
Bさん) ほかに交通機関はありましたか?
Aさん) 町の中心から町はずれの駅まで乗合バスが出ていたけれど、いつもガラガラでした。
軽便鉄道はキップも安く、学生さんはじめけっこう多くのお客さんが乗っていました。しかしそのうち軽便鉄道のお客さんも減って、その分みんな自動車になってしまい、日中の列車が来なくなりました。軽便鉄道は無くなりましたが、町の中を走るバスの方は最後まで残りました。
Bさん) どんな物が良く売れましたか?
Aさん) やはり駄菓子のたぐいですね。列車待ちの子供やお年寄りが良く買ってくれました。はじめの頃は上りと下りの列車がいっしょに来るので、待つ人も大勢いました(注:浜岡町駅で列車交換をしていました)。そのうち列車が減って、乗る人も待つ人も少なくなりました。軽便鉄道がおわりの頃は、朝夕しか列車が走らなくなっていました。店を開けていても、お客さんはほとんど来なくなりました。
Bさん) 軽便鉄道が賑やかだったことはありますか?
Aさん) 桜ケ池のお祭りのときなど、浜岡の人が大勢で列車に乗って行きました。歩いて行っていた人たちも、軽便鉄道に乗るようになりました。いつもは1両か2両だけだったので、たまに大勢お客さんがいると、みんな乗り切れるかどうか心配でした。それでも一人残らず乗ることができて、乗り切れない人はいませんでした。やはり軽便鉄道は大したものでした。
ありがとうございました。思い出を語ってくれた静岡県小笠郡浜岡町のAさん、いつまでもお元気で…。