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■■ 駿遠線こぼれ話 第三話 ■■

駅と線路の変遷史


 一般に鉄道の駅というのは建設資金がかなりかかるため、あまり動き回ることはありません。
 また鉄道線路に至っては、めったなことで敷設し直すことはありません。用地買収や軌道敷設費用など、全て鉄道会社持ちのためです。最近でこそ開かずの踏切による交通渋滞解消のため、都市計画の一環として公的資金の適用を受けることができますが、駿遠線の時代には無理な話でした。それでも駿遠線は、駅と線路がかなり動き回った所があります。それは大井川橋梁の前後
区間と、大手線の新藤枝〜瀬戸川間です。前者は名だたる大河、大井川を渡るための苦難の歴史によるもので、後者は時代に翻弄された軽便鉄道の姿を表すものかもしれません。
 この大手線の新藤枝〜瀬戸川間は、実は2回にわたって線路が付替えられています。藤相鉄道により大正2年11月に開業した藤枝新駅は国鉄藤枝駅とはやや離れた場所に設置されました。
 そして新藤枝〜瀬戸川間には、青木・志太の2駅があったようです。しかし開業してしばらくすると、人は歩いて乗換えてくれますが、貨物はそうはいきません。また雨や風の日の乗換えは、決して良いサービスとはいえません。そこで藤相鉄道は国鉄と交渉し、藤枝駅北側の隣接地約350坪を借受けました。そこに大正8年8月新駅を設置しましたが、名前は「藤枝新」のままでした。このとき新駅に入るため旧来の線路が付替えられ、青木駅が廃止されたそうです。ちなみに駅の建物はその後昭和13年10月に立派に改築されましたが、駅名が「新藤枝」に変ったのは、静岡鉄道になった昭和31年1月のことでした。現在バスターミナルになっている場所は二代目の駅跡です。
 これは新袋井駅にも言えることで、中遠鉄道開業当初は、資金や用地の問題で、止む無く国鉄駅と離れた所に終着駅を設置しました。しかし乗客の乗換えや貨物の積換えの不便を解消するため、終点を延長して国鉄駅に接する場所に駅を新設しました。それは新横須賀〜南大坂間が延長開業する、なんと1日前の離れ業でした。 

 これらはいわば軽便鉄道発展のための線路付替えですが、昭和32年4月には別の問題が発生し、大手線は再び線路を付替えることになりました。それは国道1号線の改修工事に伴うものです。それまで大手線は踏切で国道を横断していましたが、名うての大国道を軽便鉄道が横断するわけにいかず、立体交差化を要請されました。このためかなり大規模な線路付替え工事が行われ、志太駅が廃止されたうえ、瀬戸川橋梁もカーブ橋になってしまいました。というのはそれまで真直ぐ川を渡って、それからカーブをしていたのですが、それでは立体交差に間に合いません。 そこで橋の途中からカーブし、ギリギリのところで国道1号線の下をくぐるような、無理やり
な線路にさせられました。このあおりを受けて、志太駅が廃止されてしまったのです。中間の2駅がなくなって、大手線は瀬戸川の手前に駅がなくなり、川の向こうと手前で駅の数が大幅に違ってしまいました。しかし並行するバス路線に停留所がたくさんあったため、乗客もだれも不便を感ずる人はいませんでした。もはや時代の流れは、軽便鉄道から自動車優位の世の中に移り変わっていたのです。


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