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■■ 駿遠線こぼれ話 第四話 ■■

幻の相川駅(もうひとつの駿遠線)


 駿遠線の大井川駅はもともと川原の近くにありましたが、新しい富士見橋ができ人車軌道が廃止される際に、1kmほど新藤枝寄りに移転しました。そこが大井川町相川で、駿遠線が全線廃止された昭和45年7月31日まで駅はありました。この大井川駅と手前の上新田駅の間には、相川駅という幻の駅がありました。しかしあったといっても、実際にホームや駅舎があって、列車が停車していたかどうかは不明です。それというのもこの駅は、もうひとつの駿遠線ともいえる「駿遠鉄道」という幻に終わった軽便鉄道との接続駅だったからです。

 駿遠鉄道というのは焼津駅を起点とし、志太郡東南部を南下して大井川を渡り、遠州川崎・相良・地頭方・大須賀を経由し、東海道本線の中泉(磐田)に至る延長約72キロの一大軽便鉄道の敷設計画でした。同鉄道は明治44年8月22日に許可を得、翌45年5月、資本金80万円で発足しています。これに対し、後の静岡鉄道駿遠線となったのが藤相鉄道です。こちらは鉄道敷設計画を明治44年1月15日出願し、同年8月28日、駿遠鉄道の実に6日後に許可が下りました。藤枝町大手を起点とし、青島(国鉄藤枝駅)・高洲・大洲・相川・吉田・遠州川崎(榛原町)・相良を結ぶ軽便鉄道計画でした。これにより明治44年11月25日、藤相鉄道株式会社は、資本金30万円で設立されました。藤相鉄道と駿遠鉄道は大井川以遠の路線が重複するため、両者の免許申請にあたり鉄道当局は調整に苦慮しました。とりあえず藤相鉄道には大井川までと、対岸の大幡から遠州川崎までの免許を与え、大井川橋梁は駿遠線鉄道に建設させ、藤相鉄道と共同利用(乗入れ)させる条件の命令書を付け加えました。この意図は膨大な資金を要する大井川架橋により、資本金の少ない両者が共倒れとなることを防止するためでした。しかし資本金その他は優位に立つ駿遠鉄道でしたが、大正7年4月15日工事未完成により免許失効。さらに会社内部で紛糾問題が発生し、鉄道建設を実現できないまま解散しました。

 藤相鉄道は大井川の両岸、大井川駅と大幡駅まで開通しましたが、この間は徒歩連絡に頼らざるを得ませんでした。本来ならライバルの駿遠鉄道が鉄道橋を建設するはずだったのに、いっこうにその気配はなく、藤相鉄道は大手〜藤枝新・藤枝新〜大井川(旧駅)・大幡〜遠州川崎(榛原町)という3ブロックでの営業を余儀なくされていました。このため自力で大井川を渡るべく、藤相鉄道苦難の歴史が始まるのですが、この物語は後に譲ります。

 話を戻しますと、相川駅というのはこのような経緯による駅で、実際に設置されて列車が停車していた記録はありません。また運賃表その他にも記載はなく、おそらくペーパーカンパニーならぬペーパーステーションだったのでしょうか。しかし前述のように、当初川原近くにあった大井川駅が別の事情で移転して、落ち着いた先が相川というのも何かの因縁なのでしょう。そして全線廃止のお別れ列車終着駅となり、廃車された車両たちの解体場所ともなり、いわば駿遠線の最後を見届けた駅となりました。さらに現在は、スーパーカネハチ大井川店になっています。


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